2018年8月14日火曜日

ダンケルク

 『ダンケルク』、見ました。あ、いや、今回はアズレンは関係ないです。昨年公開の映画。おそらくは好みの題材。加えて話題になっていたことから見にいこうかって思っていたんですが、たまたまその時が出不精期間だったため、見にいかず仕舞いになってしまいまして。この映画、対応しているIMAXシアターで見ると桁違いの臨場感ということでも話題になってました。その国内唯一の対応シアターが大阪エキスポシティにある109シネマズだというのもあって、これはぜひいかないと! と思ってはいたんですが、急行乗ってモノレールに乗り換えて、その些細な手間を面倒くさがったがために、見ることはかないませんでした。もったいないね。

『ダンケルク』はかの有名なダンケルク撤退戦を描いた映画です。フランス北部の港町、ダンケルクに追い詰められた英仏の兵士たちをイギリス本土へと逃がそうとする作戦、その撤退する模様を描くというんですが、いやあ、これ、地味な映画だな、でも面白かったな。というのが私の感想でした。

我が家での評価は高かったです。この手の地味な映画には興味を示さない父も最後まできっちり見ましたからね。だからきっと皆もこの映画を、楽しんだというとちょっと違うかも知れないけれど、興味深く見たのだろう。そう思っていたら、いやあ、これ、結構な賛否両論。面白い、よかったという人と、なんだこりゃ、なんの盛り上がりもないつまらない、退屈な映画っていう人と、はっきりわかれちゃってるんですね。そうかあ、あかん人、いるかあ。まあ、いてもおかしくはないかなあ。映画に求めるものがなにか、その違いで面白く感じられるかどうかわかれるのは当然で、と、『シン・ゴジラ』の時にもこんなこと感じたり思ったりしましたね。

この映画、構成がちょっとややこしく、最初は少し混乱しました。海岸に追い詰められ、なんとか逃げ出そうと奔走する兵士たちの1週間と、兵士たちを救うためイギリスからフランスへと向かう民間船の1日と、そして撤退を支援すべく飛び立った戦闘機パイロットの1時間。タイムスパンを違えた出来事が、同期することなく、ひとつの映画の中、並行して描かれるんですね。時間の尺度が違うから、出来事が多少前後するんですよ。このことに気づいたのは、海面に不時着した戦闘機の描写がきっかけでした。戦闘機パイロット主観の描写ではずいぶん前に描かれたこのくだりが、民間船主観の描写ではずっと後に出てきて、あれ? 巻き戻った? 強い違和感を感じたのですが、こうした時間軸の齟齬とでもいったらいいでしょうか、戦闘機主観ではとっくに終わったと思ってたことが、後々民間船主観や兵士主観に関わりをもって現れてくる。ああ、そうか、あまりに違った時間尺度で展開するため、まるで異なるタイムラインで進行しているように見えたこれらは、最終的にひとつところに落ち着くんだ! そのことに気づいた時の感覚は、まるで目が開かれたかのようにぱっと状況を明るくさせて、そしてそれが脱出劇が無事成功裏に終わろうという劇中の転換にシンクロするものだから、極めて強烈な印象として残りました。

俗っぽい感想としては、海難事故は嫌だなあって、ほら脱出しようとする駆逐艦に魚雷が迫るあの場面とかね、あー、こうなるんだろうなあ、ある程度予測していた嫌な予感がまんまと当たって、あの悲劇。終盤でも同様で、あー、撃墜された飛行機が落ちて炎上するんだろうなあ。上は大火事、下は大水、なーんだ? じゃないですよ。潜って溺れるか、顔を出して焼け死ぬかって、どちらもが地獄。そういう、身も蓋もなく、かなわない描写、多かったように思います。なんかね、この状況は嫌だなあっての、実感させるものがあった。

この実感させるというもの。『ダンケルク』という映画の本質なのかも知れませんね。

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