新聞配達少女かなの暮らしを描いた漫画、『かなめも』の2巻も出て、そこで描かれる人間模様もなお一層に深まっていますね。具体的にいうと、女の子同士のいちゃいちゃの度合いがより以上に目立つようになったというか、ええと、これって普通のカテゴリにいる人って、ひなただけ? 普通っていったらあかんか。残るみんなが、まるで異常みたいですもんね。異常のカテゴリに含まれるのははるかひとりです。でも、女の子に執心するはるかや、なんか普通に成立している女子カップル、そうした人たちと暮らすうちにかなも感化されたとでもいうのでしょうか。クラスの友人みかに対してあらぬ思いを抱いたりして — 。なんだかとばしてるなあ、なんて思わせるそんな2巻であるのでありました。
そして、実は私はちょっと振り落とされそう。いや、大丈夫、頑張ってついていってる。けど、たまに振り落とされそうになることがあって、それははるかのセクハラ的言動やゆめ、ゆうきカップルの言動が、時に私の許容量を振り切ってしまいそうになるからでして、いやあ、なんでだろう。これがBLだったら平気なんだけどな。『かなめも』は百合的傾向強めで作られていることはわかっていますが、どうも私は百合に関しては微百合くらいが一番性に合うようで、けど変な話ですよ。BLは、微BLではあかんとです。でも百合は微百合じゃないといかんという。意味がわかりません。しかし、それ以前の問題として、『かなめも』ってそんなに踏み込んだ百合かといわれたら、別にそんなに踏み込んでないよな。いったい私は『かなめも』のどこに、なにに過剰に反応しているというんでしょう。この引っ掛かりを理解し、乗り越えることができたら、一気に世界が広がりそうな予感がします。
というか、多分あれだ、確定カップルではなくて、確定前カップルの状況を眺めるのが好きなのかも知れません。そう思えば、かなのみかに対する思いの萌芽、そういうのはむしろ悪くないと思っている口で、頭をなでられて顔をあからめるみかなんてのもわりと嫌いではなかったしで、こうしたはっきりとかたちになっていない思いに、戸惑ったり怖れたりしながら、少しずつその核心に近付いていく、そんな風な展開がきっと私は好きなのでしょう。できあがっているもの、安定したものには興味がない、とまではいわないものの、確かに私には、変化し、伸びようとするものに対し、常よりも増してひかれる傾向があります。だとしたら、確定カップルゆめとゆうきの過去であるのか現在であるのかに、なにかあったらしいという仄めかし。その詳細が描かれることがあれば、そちらのカップルについての感触も違ってくるかも知れない。違わないかも知れないけど。ともあれ、これは将来に期待でありましょう。描かれて、語られる、そのような時がきたら、おのずと私の反応もわかろうというものです。
でも多分、私がひっかかりを覚えるのは、その生々しさにぎくっとするところがあるからなんだと思うのです。私はこれを百合色のある四コマ漫画として読んでいるのでしょう。四コマ形式の百合漫画としては読んではいないのです。それは知らずのうちに限界を設定しているということであり、だからもし四コマ漫画のカテゴリーでガチのBLが描かれるようなことがあったら、おそらくはぎくっとするはず。これが百合に特化されたジャンルなら、『かなめも』の表現にひっかかるところはないんだろうと予想します。あるいは現状でも、その生々しさと表現したものが、仄めかしとして機能するものだったら、ちょっと違ったのかも知れません。読み解いてなるほどね、といったレベルではなくて、わりとあからさまだから、そうしたところで私は硬直してしまうようで、でも、そうしたものもわりと慣れの問題だからなあ。このジャンル、ああ、百合じゃなくてきらら系四コマですね、においては、これくらいは普通だよと、そうなればきっと私も硬直などすることなしに、すらすらと読んで、振り落とされるどころか、もっともっと飛ばしておくれと、思うようにさえなるのかも知れません。
だから、私は慣れるべく精進をしていきたいと思います。面白さというのは、結局は読み方、楽しみ方に対する気付きの問題でありますから、その方法さえ身に付けば問題はなくなります。けれど、なんでこうして自分から合わせようとするのかというと、それはやっぱり嫌いじゃないからというしかないでしょうね。あんまりに描かれる日常が仕合せそうで楽しそうだから忘れがちだけど、ちょっとシリアスを下地にした勤労少女の生活は、新聞配達という仕事事情が描かれ、友だちとの触れ合い、学生としての側面なんかも描かれて、そのふくらみは悪くないのですよ。だから、それを振り落とされるだなんだいって、楽しめないではつまらない。今以上に近くに寄って、もっと楽しめるようになりたい。そう思わせてくれるだけの漫画であるのは実際間違いないのです。

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年末はスケジュールがばたばたで、いつもどおりに進行しないものと相場が決まっておりますな。って、なんで年末? 年度末の間違いじゃなくって? いえいえ、年末でいいんです。昨年末に発売されていた漫画、思いっきり買い逃がしてました。なんかね、掲示板でいわれてたことがちっとも理解できなくてですね、あれ、あれれ? なんて思っていたところ、ああ、うう、『
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今日、『ゆゆ式』の発売日。うん、とってもいい表紙。しあわせです。向かって左から、唯、ゆずこ、縁。つっこみ、ぼけ、ぼけ。全員、名前が「ゆ」で始まるから『ゆゆ式』なんかな? わかりませんけど、でもこの漫画が面白いんです。どこがといわれると、どこなんだろう。めりはりは弱いです。キレとか深みとかは、多分最初から求められていません。でも、ゆるやかに進行する、そこに思いがけない面白さが感じられることがあって、それは意外性かも知れないし、あるいはありそう感かも知れません。起承転結を意に介さない、そんな意識の流れかたは大変に心地良くて、けれどそれが不条理に向かうことはありません。とはいっても、時にぽんぽんと飛ぶ彼女らの話に、落ち着かないと思うこともあるでしょう。でも、その落ち着きのなさが魅力であるのも確か。興味がうずうずとしている。次へ次へと、小鳥が枝から枝に渡るみたいにして、ちょこまかちょこまか、話の焦点を動かしては、楽しそうにさえずって、その様が愛らしかったり、そして楽しそうだったり。なんだかいいなあと思わせてくれるのです。

NHKの趣味悠々においては、ギターは欠くことのできない重要なレパートリーとなっているようで、先年こそは

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私が使っているカポは、
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この人の本を見掛けたら、とりあえず買う。本好き、漫画好きは、そういう作家のひとりやふたり、いるものだと思うんです。もちろん私にもあって、というか、ありすぎて困ってるんですけど。もう、毎月毎月、なんでこんなに買ってるんだろうって、自分でも疑問に思うほど買ってる。中には新しく買いはじめるものもあるけれど、ほとんどは継続であったり、作家買いであったり。今日とりあげる『未確認幼なじみ』、これも作者買いです。作者は陸乃家鴨。もちろん最初から作者買いだったわけではなくて、
私はさだまさしが好きで、それは彼の歌っているところも好き、しゃべるその話も好き、そして歌の世界が好き。さだの歌の世界には叙情があふれんばかりに満ちて、言葉がみずみずしく生きている、メロディの美しいことといったらない。本当にさだまさしは天才であるな、そんなことさえ思うほどであるのですね。そして、さだの歌は聴いてよし、歌ってよしであるんです。さだはフォークの人で、だからか、自分の歌がひろく歌われることを想定していて、それは彼のレコードに付属する歌詞カード、楽譜がついていることからもわかります。もちろんコードネーム付き。当時のファンは、レコードを買って、こうした楽譜を前にして、自分でもギターを弾いて歌ったんでしょう。そして私は、今、そうしてさだの歌を歌っていて、たとえばそれは『フレディもしくは三教街 — ロシア租界にて』、そして『つゆのあとさき』。もう、いい歌なんです。で、これをよりよく歌うためにと思って、そしてこれら以外の歌も歌いたいと思って、さだまさしの歌集を探していたのです。
私はこの漫画を見るときにはいつでもこんなことを思うのです。日本では確かに女子高生であるということは価値であるのかも知れないけれど、少なくとも私にとっては、36歳主婦であるときの相羽さなえの方がずっと魅力的です。いや、眼鏡だからじゃないよ。エプロンだからでもないよ。あの微妙に地味で、微妙にもっさりしたビジュアルが好きなんです。けど本人はじめ、さなえの夫丈史なんかも女子高生さなえの方が好みであるみたいで — 、ここでも私は少数派の模様です。でもいいんです。マイナーでも日陰者でも、強く生きていくって決めたんだ。などと馬鹿なこと思いながら読んでいる『
まさか、このタイミングで『ひかるファンファーレ』が単行本化されるだなんて、まったく予想だにしていませんでした。昨年末に『
主人公据次タカシは元ニートのアルバイター。これでは駄目だ、駄目になってしまうと一念発起して、ファミリーレストランのバイト募集に応じたのだっ! というのはちょっと嘘。もう養ってられないよと母ちゃんに愛想尽かされて、仕事を探さないではすまなくなった。しかし、なんとしてもニートの座に返り咲きたい。落ちるつもりで受けたファミレスのバイト募集にうかってしまってさあ大変。期せずして女性だらけのファミレスで働くこととなってしまった据次タカシの苦悩。あらゆることが裏目と出る、しかも誤解から評価は上がるばかり。そんなちぐはぐな据次タカシの状況が切なくも面白い。しかし、妙に据次タカシの気持ちがわかる自分というのはどうなのだろう……。なんか奴の気持ちがわからんでもない、ああ、わかる、わかるよと思いながらも笑ってしまう、『据次タカシの憂鬱』とはそうした漫画であります。
私は
今日、ちょっと阪大にいってきました。いやね、
今日は3月2日。気付けば、もう3月なんですね。私の1月2月はいったいどこに消えたのだろう。日々がその実感を手に残すことなく、ただただ流れ去るばかりであるのは、きっと私が今を生きていないからだ。生ききっていないからだ。そんなことを考えながら、この数日を過ごしていました。なんとかしないといけないなあ。そう思っては、場当たり的にいろいろ思い付いては、ああ、駄目だ、否定して、けれどなにか打って出ないことには始まらない。そう思っていた矢先の『まんがホーム』4月号、楽しみに読んでいる『ヨメけん』にちょっと動きがありました。
うん、ああ、なんだ、素晴しいな『
