私の野々原ちき初遭遇は『もんぺガール小梅』であったのですが、正直なところあまりいい印象は受けなかったのでした。かわいらしいキャラクターが非常識な行動をして人を困らす漫画と思って、最初の数ヶ月はなんかのり切れず読んでいたのですが、楽しみ方をわかってからは、がらりと印象が変わってしまいました。一コマ一コマの絵に、せりふに面白さが盛り込まれているのですね。特に小梅の、友人である動物に対する仕打ちみたいのは毒が効いていて面白かった。こうした小梅的キャラクターは、『姉妹の方程式』では来来軒の悪魔あたりに受け継がれています。
そんなわけで『姉妹の方程式』。まんがタイムきららに連載されている漫画なのですが、四コマ漫画としてのまとまりをきっちりつけながら、一話としての膨らみを持たせることにもよく長けている、実に良質の漫画です。
なにがいいといっても、細部細部にまでよく神経が行き渡っていると感じさせる丁寧な作りです。ぱっと見にはシンプルで、あるいは地味な漫画に見えるかも知れませんが、絵に、せりふに、必要充分の情報がしっかりと盛り込まれているから、食い足りないということがありません。けど、多くの情報をあの小さな一コマに盛り込んで、あれだけすっきりまとまっているというのはすごいことだと思いますよ。手に余る情報を扱って処理しきれず、破綻しそうになっている漫画も多い中、野々原ちきは違います。たくさんの情報を画面上に配置しながら、読みやすく伝わりやすいように整理されていて、このまとまりはセンスや構成力のたまものでもあるのでしょうが、漫画をよりよいものにしようという練り上げ (elaboration) の工夫努力が並ではないのでしょう。
野々原ちきの漫画の洗練を支えているのは、要はその描きぶりであると思うのですが、構図の取り方もうまければ、デフォルメのしかたもうまい。一コマの持つ表現力がかなり高いのです。
例えば、衣装の選択なんかが秀逸で、服装は、わざわざ説明するまでもなく、それを選んだ人間の趣味嗜好、人となりを雄弁に説明するものでありますが、だとしたら野々原ちきがキャラクターに着せる服の選択はよくよくの熟考の末になされているものと思われます。いや、だって、服装をはじめとする小物が、キャラクターたちの個性を本当によく説明するのですよ。仮にそうした工夫に気付かなくとも、その意味は読み手に伝わります。
そしてきわめつけは描線。野々原ちきの漫画表現について考えるなら、描線の持つ色気に触れないわけにはいかないでしょう。野々原ちきの描線は出色です。対象の固さ柔らかさを線のレベルで描き分けていて、布地の厚み風合いみたいなものまでがこちらに伝わってくる。これは正直いってすごい。服地の素材さえわかりそうなくらい。この描線に支えられた画面ですから、そりゃ表現力が違ってくるのも当然だろうと思います。
私は、野々原さんを非常に高く買っています。そして、少し残念に思っています。私は野々原さんは非常に高い能力のある人だと思っているのですが、ですがその能力を完全には発揮できていないんじゃないかと思うところがあって、それどころか、小さくまとまろう、小さくまとまろうとするような傾向も感じてしまうのですね。
もし野々原さんがご自身のできることの広さ、大きさに気付かれたなら、その時にはさらに高次の漫画表現が開かれるんじゃないかと、その将来にひそかに期待しています。
蛇足:
十子ちゃんが好きです。 — 死んだら会いに行けるかな……。
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