2005年7月21日木曜日

星の王子さま

 先達て亡くなられた倉橋由美子の手になる『星の王子さま』が欲しくて、行きつけの書店ならきっと置いているに違いないと思っていったら、案の定置いていたので買ってきました。『星の王子さま』は、もう今更説明する必要もない古典ですが、意外と読んでいる人は少ないかも知れません。挿絵がかわいらしく魅力的で、さっと読める短い話なので簡単な本と思う人もいるかも知れませんが、ところがどっこい、簡単だとか平易だとかちょっといって欲しくありません。ここにはある種の生き方の理想があって、人生を豊かにする秘密が語られています。だから私はこの本こそもっと広く読まれて欲しい。 — けど、通じない人には、まったく意味のない本になるかも知れないなあとも思います。

私が高校生の時ですね。学校まわりの劇団が上演する『星の王子さま』を見たのが、この物語に触れた最初でした。なんだか取っつきやすいようで謎に満ちていて、こりゃ一筋縄ではいかないぞと思ったことを思い出します。けど、最初私は、それは演劇仕立てにしたからだと考えていました。その時すでに、この本が子供向けではないということは知っていましたが、まだ読んだことはなく、だからこの劇をきっかけにして原作を読もうと思ったのでした。

本を読んだ感想は、やはりここには大きな謎があるというものでした。いうまでもなく、物語は平易です。けれど表現がシンプルであることと、内容がわかりやすいということは違うのです。特に、目の中に梁があるような類いの人間にとっては、この物語は謎に満ちたものとしか見えないでしょう。

私は、自分の目から梁を取りのけるのに、ずいぶんと時間をかけてしまいました。私は本当に俗物で、いろいろな欲を捨てただなんて口ではいいながら、最後の最後に名誉欲を残しています。私は結局は、王子さまが出会った王様であるといおうか、あるいは地理学者といおうか、そうした人間につながるもので、けどそうしたことがばかばかしいということはもういやになるほど味わっているのです。

この物語を久しぶりに読んで、私がかつて関わっていた業界には、地理学者がうようよと跋扈していたことを思い出しました。本当に心を向けなければならない対象がすぐそこにあるのに、そっぽ向くように目をそらし続けていた人たちがいて、私はなんてばかげているんだろうとずっと思っていました。私らが目を向けねばならないものは、すぐ目の前にあるのです。なのにみんなはその目の前のことについて話すのに、伝聞に頼っているのです。私はそれがずっとずっと歯がゆくて、結局そんな彼らについてくのがいやんなって抜けてしまいました。あの、抜けると決めた瞬間、私は少し王子さまに近い考えをしていたんじゃないかと思います。

でも、もし本当の地理学者なら、王子さまが箱の中に自分の小さな羊を見つけたように、本の山からだって、伝聞からだって、ほんとうのことを見つけ出せるはずなんです。だから私はもしかしたら見限るのは早すぎたかも知れない。実際素晴らしい成果を挙げている地理学者たちはいて、彼らはまごうことなく本物であるのですから。

私は、今、ほんとうのことに向き合う手段こそは違えてしまいましたが、見つけたいものにはしっかりと目を向けていると思います。見るだけじゃなく、その奥に進みたい。肝心なところにたどり着きたいと思う気持ちは、いつわりなく本物であるとうけがえます。

倉橋訳は、旧訳に比べてもずいぶんと簡素で引き締まった印象があります。子供向けであることは最初から問題ではなく、まっすぐ大人のための本として訳されているのですが、それは文章が難しいということではありません。平易です。ですが、その平易にするすると頭に入ってくる文章には力があって、きっとなにかが揺り動かされる。旧訳とは違った響き方がすると感じられました。

けれど、私はもうすっかり大人の側に足を踏み入れた人間だから、王子さまの言葉にはすべてうなずくことができず、ですがそれも仕方がないと思います。しかし、それでも王子さまとの別れを経験しようという頃には、王子さまのいわんとするほんとうのことはしっかり胸にとおっていました。私はその時、特別になったたくさんのものや人に囲まれていると、しっかり感じることができて、自分のいかに仕合せであるかを思っていたのです。

  • サン=テグジュペリ,アントワーヌ・ド『星の王子さま』倉橋由美子訳,東京:宝島社,2005年。

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