なんか、亀田大毅氏が車はぶつけるもの
とかゆうてしもたというニュースを見たのですが、ええと、これ読んで、けしからんとか不届きだとか、そういった感想抱くよりも早く『思春期クレイジーズ』を思いだしていた私自身がどうでしょう。しかも記事読むどころの話でなくて、RSSリーダーに表示された見出し一瞥した時点で心は『思春期クレイジーズ』にとんでいたというのですから、不届き千万、あんたはあほかの世界であります。しかし、この漫画、妙に心に残る台詞が多いのですよ。それはたとえば……、おおっと、この漫画には十八歳未満は閲覧できない呪いがかけられているので、要件満たさない人やそうしたものを好かんという人は、ここでお別れです。
ええと、ちゃんと警告した。けど、一応は青少年の目に触れる可能性もないではないから、危険な用語はすべて車に置き換えてお送りしたく思います。
いったい、件の見出しのなにが『思春期クレイジーズ』を思い出させたというのでしょう。それはまぎれもなく問題の発言、車はぶつけるものであります。ヒロインであるおソノさんの友人、佐耶がいうのですよ。お車は舐めるモノで… 車は飲むモノよ。それも自信満々でいうんですね。そのシュールなことったらなくて、おかしい、おかしいよ。けどおかしいのは佐耶だけでなく、神社の娘である弥生、これもまたおかしくて、その宗門では未通女でないと巫女を務めることが許されないからといって、それを回避しつつするという。見た目お嬢さんの弥生が、ひいているおソノさんに向かってにこにこと言い放った台詞がこちら。とにかく今は車は常識よ?
そんな常識は知りません。
この一言にこの漫画のおかしさは集約されるのかも知れません。本当ならばガチで常識の側にいるはずのおソノさんが、間違った常識に固められて、流されてしまうというむちゃくちゃな話。ちょ、ちょっと待って、話し合おう。そう言いたげなおソノさんが、あれよあれよと丸め込まれて、けどなんか最後には、あ、ここでちょっとネタバレがきます。嫌う人はこの先読まないでください、佐耶の弟佐ノ介とめでたくできちゃって両思い、なんとなくいい話、純愛もの? みたいになってしまう強引さ。いや無茶といったほうがいいのかも知れません。非常識を常識にしている友人あるいは姉を持った不幸とでもいうんでしょうか。けど、まあ最後にはそれなりに丸くおさまるんだから、あれはあれで仕合せなんかな? ともあれ、なんとなく脱力の感動恋愛ものであります。
関西が舞台なんですよね。方言での会話が、妙にしっくりとして、無茶、ラディカルな状況を和らげていたと感じます。非日常的なシチュエーションに方言の醸し出す日常臭さが、変にマッチしていたのも面白く、こうした味わいがおそらくこの作者の持ち味なのだと思います。最初は線の硬さに馴染みにくさを感じたものでしたが、雰囲気の柔らかさが多少の欠点をカバーして、それになんといってもおソノさんが可愛かったのがなによりでしょう。さっぱりとして明るくて、強気に見せてあかんたれで、いい造形であったと思うのですね。それから佐ノ介も。コアでマニアックなネタで押しきりながらも、そっち方面の嗜好を持たないものも引き込みかねないと思わせるのは、雰囲気の楽しさ、そして登場人物の愛らしさであったのではなかったかな、そんな風に思っています。
とはいっても、読み終えて、さらに面白かったと思った私にしても、そっち方面の心の扉が開かれることはありませんでした。残念、というべきなのかどうかはわかりませんが、なんかもやもやとして行き着かない感じが残るのですね。こうしたローレベルの嗜好というものは(あ、下じゃなくて本能に根ざしたっていう意味ね)、かくもたやすく変化することはないのだなと思った次第でありました。
- 紺野あずれ『思春期クレイジーズ』(メガストアコミックス) 東京:メガストアコミックス,2007年。
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