書店にて4巻が発売されていることを知って、そして帯にてこれが最終巻であると知って、驚きました。第4巻で終わりなんか。核心に向けて話が動き出したばかり、そのように思っていたものですから、余計に唐突に感じられて、けれど見事に終わらせましたね。1巻から読み返して、各話のサブタイトルに表れた登場人物の名前を数えてみれば、そして少し落ち着いて反芻してみれば、作者がこの漫画に描こうとしていた世界について、もっと近づいていくこともできるのでしょう。けれど今はまだ曖昧のままに、漂うような感触残したままにしていたいと、そんな風に思っています。
そして、この漫画は、世界が眠りに落ちるという異常事態を描いて、けれどそれは決して主題ではなかったのかも知れないと、そんな感想を持っています。人類のすべてが眠りに落ちた世界において、唯一覚醒に導くことのできる存在であった淳平は、結局は状況に流されるままに終始して、むしろ能動的に状況に関わり、事態を動かしていたのは女達でした。けれど、彼女らにしても、なぜ世界中が眠りに落ちることになったのかという謎には達することができず — 、いやそんなことはないはずだ、謎は最後に明かされたじゃないか、ちゃんと読んでるのかといわれそうですが、謎は明かされるべくして自ら明かされたのであり、その謎の解かれ方にしても、謎を解く存在としてあらかじめ選ばれていた彼女の口寄せめいた説明に過ぎないわけで、そのシーンを見て、ああ、眠りに落ちた世界とはいわばギミックであったんだと、そのように思ったんですね。
世界はギミックに過ぎなかった。それはつまり、この漫画の中心にあったものとは、異常状況下において再編成される社会でもなければ、ましてや人間の世界を奪還せんと奮闘するドラマでもなくて、いうならば登場人物個々人の心を巡る印象に触れようとする、淡くナイーブなスケッチであった、ということなのかも知れません。だとすれば、これは非常に陽気婢という人らしいと思えて、既作において感ぜられた雰囲気、印象に通ずるものがある、そのように感じて、不思議と納得したのでした。
自分たちを除くすべてが眠った世界で、どのような振る舞い方を選んだか。彼女たちの選択を描くことは、すなわち彼女らのキャラクターを描くことにほかならず、だからこの漫画の中心には彼女らこそがあったのでしょう。もちろんもっとも注力して描き出されたのはメインヒロインである悦吏子であり、そして物語は彼女が引き受けるかたちで終わりに向い、謎を端々に残して閉じられました。最後、動き出した世界での淳平の意味、徐々に曖昧の中に沈み込もうとするかのようなシーンが立て続けに描かれて、私はその一連の描写に多少の不愉快を覚えたのですが、あるいはこの曖昧になろうとする世界への不快さ、それは、そのまま淳平の世界に対して感じているものに同じなのではないだろうかとも思われて、私はあたかも淳平に繋がる、いやむしろ包まれているかのような感触をもって読み終えたのです。
私は今はこの奇妙な感覚にとどまっていたいから、あえて読み返すことをせず、曖昧の中に流されるままにあろうと思います。けれど、いずれまた理解したい欲求の高まりとともに読み返すでしょう。おそらくは分析的に、ぐさぐさと、ばらばらに解体するような思いで読むのでしょう。そうしたら今確かに感じている印象は変質してしまう。なくならないまでも、違ったものになってしまうだろう、だからしばらくは読み返すことをしません。感覚が薄れて、印象が、体感的なものから記憶そのものに移行しようとするその時が読み返しの時。その時のために、全巻を揃えて、わかるところに置いておこうと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿