2008年2月28日木曜日

ろりーた絶対王政

 油断できないなあ。そんな感じ。タイトルにろりーたなんてあって、一体どんなあざとさが!? なんて思う人もあるかも知れないけれど、むしろ逆。はっとするように繊細で、心の奥に染み入るような感情の揺れ動きが美しい、そんな漫画です。タッチは少年誌風というよりも少女漫画のそれ。そのためか肉感的な色気よりも気持ちに働きかける要素のほうがずっと大きいと感じられて、それがまたなんともいえず心地よいのです。ヒロインは二人。双子というけれど、あまりに小さな妹はどう見ても小学生で、なんか訳ありっぽい? 姉は可憐というより辛辣で、辛辣というより鮮烈で。妹は可憐であって幼気で、いたいけであって健気で、そして無邪気で — 。その無邪気さが心をかき乱すのですね。ああ、いや、私の心じゃない。主人公、鷹彦の心をです。

鷹彦は高校生男子。女の子に興味がないわけではないけれど、過去にあったいろいろが女の子への距離を作ってしまって、だからちょっとかたくなですね。そんなシャイボーイのうちに可愛い双子が住むことになったという、 — いわゆる同居ものであるのですが、同居もののお約束は匂わされはするものの発動することはなく、いやむしろ、パターンをはずれながら、深まりを見せようというのです。

深まり。謎めいた姉妹の守ろうとしている絆と、からめ捕られるように共犯関係に引き込まれていく鷹彦。翻弄され幻惑されたその先に鷹彦のたどり着いたものというのが、小鳥遊姉妹の他の誰にも見せようとしない素顔であったというのですからたまりません。向けられる悪意をすべて背負ってでも妹を守ろうとする姉るる、健気なそぶりにかくして意地を張り続ける妹りり、不安に揺れるふたりの心、特にりりの気持ちが鷹彦の言葉に決壊するシーンなどは、見ていて思わずもらい泣きでした。

鷹彦の不器用さが、朴訥さが、気持ちの揺れ動きをより大きなものに変えたと、そんな風に思われるのです。簡単には認めないぞ、流されてたまるもんかって意地を張っている彼が、それでも認めざるを得なかった。その言葉のそっけなさに透けて見える本音、不器用なだけにね、効いたと思うんです。小鳥遊姉妹にも、読者にも。そして、ここに承認されることの喜びというのが感じられて、ああ自分のやっていたことは正しかったんだ、自分はここにいていいんだと実感できる喜びですよ。居場所を見出すことのできるということの意味、価値が広がり、わだかまっていた気持ちが一気に押し流されて、晴れてしまうのです。

それは、りりの不安に心を重ね合わせるようにして読み進めてきたものにとってはなによりの救いであったろうし、また鷹彦の側に立ってりりを見守るように読んできたものにとっては、この誰よりも頑張り続けてきた人を受け入れ、そのままにして見過ごせば流され消えてしまったかも知れない無形の価値を、確かなものとして掬い上げることができた、それはやはり喜びであるのだろうと思うのです。他の誰も気付いていないかも知れない君の価値を、僕は知っている。そこに通いあう心の機微があれば、それを人は絆というのでしょう。鷹彦にとって、ちょっと気になる女の子であったりりは、より以上に意味のある存在として揺るぎないものとして意識されるようになり、だから2巻以降で語られるであろう、また違った鷹彦の不器用さの世界が成立するのでしょうね。

『ろりーた絶対王政』は素朴な恋愛の劇を通して、人と人との関わり方、必要とされる喜び、認められる喜びを感じさせてくれる、そんな作用を持っています。それはあまりに純朴で、ちょっともどかしく思うところもあるのだけれども、そうしたもどかしさも含めて、人の心の揺れ触れ動く様は甘く溶ける誘惑であると知らせてくれるのですね。ええ、誘惑ですよ。さりげないしぐさに、意図せざる誘惑に篭絡されてしまう、そうした傾きのある、ちょっぴり危険な漫画であります。

  • 三嶋くるみ『ろりーた絶対王政』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

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