姜尚中とテッサ・モーリス−スズキの対談本が出ていると聞いたのはもうずいぶんと前のこと、いつか読もうと思いながらも今の今まで先延ばしにしてきたのですが、思いついて注文して購入して、読みました。そうしたら思った以上に軽い作りになっていて、驚きましたよ。なんだか芝居がかった演出がそこかしこに見られて、不思議な見せ方をするものだなあといぶかしみながら読んだのですが、けれど中身は普通の対談。いや、そうかな? 本当に南の島でくつろぎながらの雑談、おしゃべりなのかといわれたら、いやあそれはさすがに演出だろうと思うのだけれども、いずれにせよこうした体裁とってる時点で普通じゃないですよね。
けれど、そうした演出あってのことか、読みやすさに関しては抜群でした。ちょっと込み入ってわかりにくいところや、前提となる知識が求められるところなどでは、無知を装う担当編集者O氏に対しての説明がそのつどさしはさまれるから、私みたいにデモクラシーという手続きや政治そのものに詳しくないものにも優しい、平易に読める工夫のされた本であると思います。
結構軽く読める本で、しかしなかなかに考えさせられるところも多かったものだから、今後、なにか思うところや迷うところがあれば、読み直してみるのもよさそうだと、そんな風に思っています。こんなこと思ったのは、この本が、基本的な部分を確認した上で、これより先に進むにはどうすればいいのだろうという問の形式を持っているからだと思います。デモクラシーとはどういうものであるのか。過去に議論されてきたよい政治、悪い政治について語り、今は悪い政治になりつつあるのではないか、あるいはなっているのではないか、そういう確認がされて、ではこの状況を脱するにはどうしたらいいのだろうか。こういった具合に話は進み、どこそこの国ではこういうやり方がされたりする、それもいいですね、他にやり方としてはこんなことできないものでしょうか、こんな感じです。日常の言葉に近いところで語られている、そういう感触があるから、納得しやすく思えるところもあるのでしょう。
ただ、私が彼ら二人の話に納得するのは、私自身がこの本において語られた代表されてない人々に含まれる立場の人間だからかなという気もするのですね。政党は、マルティチュードを抑圧する — NGOやNPOなど、多様な連帯を志向する人々の可能性を、国民国家の内部に封じ込めようとする権力装置
という見出しがあるのですが、ここでは政党により代表されなくなってしまった人間が辿る末路、有権者ではなく消費者として振る舞うほかないといった、そうしたことが語られます。そして私はここにきて、自分はまさしくその代表されない人間なんだろうなあと思ったのですね。私が前から漠然と思っていたことというのは、すでに既存の理論においてくみ取られていたのだなと思って、安心したというか、納得したというか。そしてそうした論をもとに展開する話ですから、私が受け入れやすく思うというのも当たり前であったのだというのですね。
全体にソフトな本だから、ハードなものを求める人には物足りないところもあるのではないかと思います。また、政治思想的な立ち位置から到底受け入れられないと感じる人もありそうだなと思うところもありました。だから、万人にお薦めしていい本ではないと思うけれども、政治ってなんだろう、デモクラシーってなんだろう、あるいはどうだろうと思っているような人には向きの本であるかも知れません。そして私にはよかったように思う、おすすめされたデモクラシーマニフェストづくりはなんだか妙に気恥ずかしくてできないけれども、考えるきっかけを与えてくれたという点で、読んでよかったと思える本でありました。
- 姜尚中,テッサ・モーリス−スズキ『デモクラシーの冒険』(集英社新書) 東京:集英社,2004年。
引用
- 姜尚中,テッサ・モーリス−スズキ『デモクラシーの冒険』(東京:集英社,2004年),102頁。
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