2008年7月28日月曜日

ラジオでGO!

 昔、声優やアニメが好きだった友人は、深夜ラジオを楽しみにして聴いていて、遠くの地域の放送をノイズの中から拾い、また録音したものをポータブルプレイヤーで持ち運んでは聞いていました。私も声優やアニメは嫌いでなかった、どころか好きな口だったのですが、なぜかラジオには興味がなくて、高校、大学に通っていた頃、ラジオを聴いたという記憶はほとんどありません。こんな私ですから、『ラジオでGO!』の第一話を見た時に、自分にはあわない漫画となるかも知れないと思って、それはひとえに私にラジオへの愛が欠けているから、その一点での判断でした。声優とアナウンサーふたりのパーソナリティが送るラジオ番組にきっとなじめないだろうと、勝手に思い込んでいたんですね。

けれど、ラジオの番組制作風景、舞台裏を魅力的に描いた漫画は、私のかたくなさなどなんのその、まっすぐに向かってきて、まっすぐに奪ってしまいましたね。面白かったんです。最初はちょっとずつぎこちなさをみせたパーソナリティが、数度の放送を経てだんだんになじんでいく。その、打ち解けていく様と、個性を発揮してはつらつとしたしゃべりをみせてくれるようになる、その時間がよかったのだと思います。いつにも増してスロースタートだった私を待ってくれたとでもいうべきか、できあがった世界をいきなり見せつけて、入ってらっしゃいとやるのではなく、これからだんだんにできていくから、一緒にいかがとでもいわれたような、そんな親しさと敷居の低さが嬉しかったです。だから、私は今、若い頃にラジオを聴いてこなかったことを、悔やむでもなく、残念がっています。あの頃ね、私はCD聞いてたんですよ。主にクラシックの。それは、やっぱり、人生のその時期に聞いておかないといけないものであったと思うのだけれども、けど、ラジオという後から決して取り返せない、そういう一回的なものに関わりを持たなかったのは、どう言い繕っても惜しいことをしたとしかいいようがありません。

これほどに惜しむというのは、この漫画に描かれるラジオの風景が、楽しそうで仕方がないからなんです。パーソナリティ、声優の佐渡ちとせとアナウンサーの小石川沙絵。このふたりが番組の顔ですね。そして裏方、夢見るプロデューサーの風見綾子、相沢ディレクターにミキサーの藤田、営業の二階堂凛。個性的な面々が、あれやこれやと番組を盛り上げようと工夫したり、自分の持ち味発揮してみせる、その一生懸命さ、打ち込む様がすごくいいなと感じるのです。アットホームで、けれどよりよい番組にしようっていう目標意識を共有しているから、なあなあにはならなくて。そうした姿が見えるものだから、きっとこの番組は楽しいに違いないと思えるのでしょう。ああ、自分もラジオ聞いておけば、もっとリアルに、もっと身体的、肌で感じるような実感で持って、漫画の表現に触れることができたんだろうなあって、残念に感じるのはそんな時なんです。いや、多分そうじゃない。漫画の中でリスナーが、はがきを読まれたであるとか、あるいはイベントなどで、一喜一憂している、その姿をみた時、それが一番に悔しいなあって思う瞬間ですね。

この漫画がラジオの仕事を描いて、すごくそれっぽいと思わせるのは、きっと作者がそのへんの業界にお詳しいからに違いないと思っていたら、実はそうではなく、どうやら取材のたまもののようですね。だから私は驚いてしまって、そうかあ、調べて、構成して、この感じが出ているのかあ。恐れ入りました。けれど、そうした取材と構成の力だけでなく、ラジオが好きだという、その気持ちの力も強いのだろうなと思われて、このへんは本誌を読めばきっとわかります。欄外、柱にてですね、ラジオ番組風テキストが掲載されているのです。これをマニアックと見るか、それとも愛だなあと思うかは受け取り手次第ですが、私は後者でしたね。対象に対する愛があふれている。そして、愛がうまくまわっている。私は、これはそういう漫画であると思っています。

プロ、アマチュアという言葉がありますが、アマチュアの第一義は素人ではなくなんです。この漫画の、楽しませてくれる見せ方は確かにプロのそれであるのでしょうが、楽しんでもらおうという気持ちは、なによりアマチュアのそれ、愛に駆動されるものが感じられます。第一義が愛。ラジオへの、漫画への愛が支える、そんな楽しさが確かにあると思われて、だから、私はこの漫画が大好きです。

  • なぐも。『ラジオでGO!』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

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