2010年7月31日土曜日

大正野球娘。

  大正野球娘。』ブームはなおも続いています。最初は小説の挿絵目当てにすぎなかった。だからアニメになると聞いた時も、見ようという気にはならならず、実際、『けいおん!』の後番組でなければ、見ることはなかったでしょう。ところが、見てしまった。しかも気にいってしまった。BDどうしよう、そう思っていたものを、ついに買ってしまった。そうなったら、もうたまらない。CD買う、ラジオのまで買う、そしてついに買う気のなかった、それこそ微塵もなかったコミックスまで買うにいたって、ああ、どんだけはまっているというのでしょう。ええ、『大正野球娘。』ブームはまだまだ終わる気配を見せません。

というわけで、コミックス読みまして、これはすごい。全然違うじゃないか。アニメより原作寄りだ、そう思うところもあるけれど、いやちょっと待ってほしい。なんだろう、ものすごく好き放題だ。キャラクターからは可愛げというものが払拭されて、じゃあ可愛くないのかといわれれば、そんなことはなくて、むしろこれはこれで魅力的。小説からアニメになった時に、メディアそれぞれで違ったかたちで表現される、その違いも含めて楽しんで見るのがよさそうだなあって思っていた、その気持ちをなおも強めることになった、そんな気がしています。

さて、漫画版『野球娘。』。これ、キャラクターが違うというの、描かれ方や解釈が違うというのではなく、それこそ同じなのは名前だけ。見た目も性格も能力も全然違ってる、それくらいに思っていいほど違っています。漫画は原作ベースであるから、アニメが違い過ぎてるといった方がいいのかも。アニメでは野球が達者だった石垣環。漫画での彼女は、交渉能力や実務方面での実力に期待されるものの、野球はからきしときています。野球がからきしといえば、アニメ版の桜見鏡子。ですが、漫画ではそつなく守備をこなす、そんなキャラクターになっているのですね。

というわけで、今回は彼女らできない組のお話。

私が、なぜこれほどに『大正野球娘。』にひかれているのか。それは、できない組の存在が大きいからだと思っています。できない組、すなわちアニメにおける桜見鏡子。さらにいえば、小笠原晶子。実際、このアニメ、晶子さんが一番できてませんでしたから。もう練習シーンなど大爆笑で、鏡子が起きて迷惑寝ても迷惑なら、晶子さんは打って駄目走って駄目投げるのだけちょっとまし、それこそ女子が男子に野球で勝てるかどころじゃないわけです。この人、女子相手にも勝てないだろう。それくらい駄目なところからのスタートでした。

けれど、このアニメはできない子らが頑張って努力して、少しずつ上達して実力の差を埋めていく、その過程がこれでもかって描かれていたんですね。おおよそ運動には向かない、それくらいの状態から、意地で上へ上へと登っていく。その様子はおそろしく地味だったかも知れないけれど、その上達の様子がきちんとわかるように示されていて、ああ頑張ってるなって、そう思えたからこそ私は好きになったんだろうなって思うのですね。最初、練習がはじまった頃、5話「花や蝶やと駆ける日々」では皆から取り残され、周回遅れでビリを走っていた晶子が、7話「麻布八景娘戯」の頃には、なんとか置いていかれない程度には走れるようになり、そして10話「私は何をする人ぞ」では小梅について走れるほどになっていた。こうした上達は、投球においてもそうだし、守備においてもそう。ただ時間が経ったら、なぜかうまくなっていた、みたいなアニメではなかった。ええ、体格といい年齢といい経験といい、圧倒的なハンデを抱えた彼女らが、乃枝考案の近代野球でハンデを埋めはしたものの、結局は努力練習の連続で食い下がる、そんなアニメであったわけですね。

できない子の物語にひかれる、それは私自身ができない人間だからです。私はできない彼女らの向こうに、できない自分を見ているのですね。とりわけ「私は何をする人ぞ」での鏡子、彼女の姿勢はまさに私に同じでした。起きて迷惑寝ても迷惑。いまやるべきことから目をそらし、夢を見ることばかりに一生懸命だった彼女。もう一歩をつめれば捕れるかも知れない打球に、ああ駄目だ、諦めをにじませる彼女。実に私に同じではないか。必死に最後の一歩を詰めてみろよ。そういうのは容易く、けれど私はその最後の一歩を走りきれずにいて、ええ、あの回に見える鏡子の姿に自分を重ね合わせていたのですね。

『大正野球娘。』には、いい言葉が多かったな。そう思うのです。アンナ先生の、皆をはげまそうという言葉に、しゃきっとさせられる思いのすること、たびたびでした。件の回「私は何をする人ぞ」では、今からでも間に合うでしょうかと問う鏡子に対して、なにかをするのに遅すぎるということはありませんと答える。これ、ジョージ・エリオットの言葉からですね、きっと。一歩違えば綺麗事になってしまいそう、そうした言葉が綺麗にはまる、それが『大正野球娘。』でした。そして回の終わり、残る時間を一生懸命に過ごし、ついに打球に届いた鏡子。その様子は、それまでのできなかった日々が描かれていただけに感動的、心の底からよかったと思えるそんなシーンに仕上がっていました。そして、私はというと、取り残されたなと苦笑する。ええ、できない子から脱した鏡子と違い、私はまだできない組に残留しています。

漫画は、そろそろ4巻が出るそうですね。漫画は3巻最後にて、どうしても打てない環が自分の腑甲斐なさに打ち拉がれる、そんなシーンがしたたかに胸を突いて、だから先がどうにも気になっていたのでした。アニメは、練習が、努力が報われる、そんな物語だったけれど、すべての努力が報われるわけじゃないよという漫画は、現実に似てより残酷であるのかも知れません。けど、努力はきっと報われるとは限らない、それが努力しないでいい言い訳にはなりません。環がその先に進むのか、あるいは違う道を選択していくのか、それは4巻以降を待つとして、けれど苦さを舐めて、悔しさにひとり涙をこぼす。そうした姿は、人の持つ美しさのひとつの現れであるな、そう思わされる名シーンであったのでした。

というわけで、『大正野球娘。』。アニメにおいても、必ずしも努力が報われるわけではないよ、っていう話。それはまた今度書きたく思います。ええ、続きますよ。まだまだブームは終わりません。

コミックス

  • 伊藤伸平『大正野球娘。』第1巻 神楽坂淳原作 (リュウコミックス) 東京:徳間書店,2009年。
  • 伊藤伸平『大正野球娘。』第2巻 神楽坂淳原作 (リュウコミックス) 東京:徳間書店,2009年。
  • 伊藤伸平『大正野球娘。』第3巻 神楽坂淳原作 (リュウコミックス) 東京:徳間書店,2009年。
  • 伊藤伸平『大正野球娘。』第4巻 神楽坂淳原作 (リュウコミックス) 東京:徳間書店,2010年。
  • 以下続刊

CD

Blu-ray Disc

DVD

PSP

Goods

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

非常に愛に満ちた良い記事です。新たな発見もありました。
私もアニメにハマり(再生できない癖にBD全巻購入。普段はダビングしたDVDを見てる)、漫画にも手を出しました。
確かに漫画は妙な魅力がありますね。ベテランの作者だけあって面白いですし。
それにしても、昨年の今頃はアニメ4話が放送されてるくらい時間が経ったんですね。

私もまだまだ大正野球娘。のブームは続きそうです。
では。次回の大正野球娘。の記事も楽しみにしておりますので。

matsuyuki さんのコメント...

コメント、ありがとうございます。しかも、嬉しいお言葉も添えていただけるなんて! 『大正野球娘。』は静かに盛り上がり、今もその気持ちがひかないという、私にとっては実に息の長いタイトルとなりました。

私は今アニメを、昨年のBSのスケジュールどおりに見直しているところでして、つい先週に第2話を見終えたところです。これでまたなにか気付くことあるのかな、なんていう思いもあるのですね。

私は今は漫画の4巻を楽しみにしています。そして、秋にはPSPのゲーム(もう入手ずみです)をはじめられたらいいなって思っているのですね。

こんな具合ですので、まだブームは終わらないと思われます。年単位で続きそうに思っています。

最後にもう一度、コメントくださったこと、すごく嬉しかったです。なにより、『大正野球娘。』を好きだとおっしゃる方のいらっしゃること、それをまざまざと感じることができて、本当に嬉しく思いました。

ありがとうございました。次の記事は、8月中旬くらいかな、などと予想しています。