真田ぽーりんの『ドボガン天国』の2巻が出ています。私はこの人の漫画好きだから、当然のごとく買っているのですが、ちょっと2巻はペンギンの出番が少なかったなあ、なんて思っていたら後半に追い上げがあって、よかった、ペンギンの火は消えない! さて、『ドボガン王国』は、ペットショップドボガンを舞台とした動物四コマであります。ヒロインとんびを筆頭に、動物好きの店員がそろったこの店は、お客様より売り上げよりも、買われていく動物の仕合わせの方が大事ときた。いや、実際ペットショップで働こうなんていう人は、もともとから動物好きであるのが大抵でしょうから、現実のペットショップ店員も内心は彼らと同じなのだろうな、そんな風に思って、ですがペットショップ店員の話を聞くと、現実は決して甘くはない、厳しくつらいことも多いのだということを実感させられたりするからたまりません。
『ドボガン王国』においては、そうしたペットショップの裏側とでも申しますか、そうした部分は描かれず、やはり漫画ですからね、読んで楽しいものに仕上がっています。店長は売り上げ第一で、やたらシビアなことばかり口にするけれど、それこそ非人道的というか、動物愛護の観点から見ると信じられないことをいう人だけれど、でもいわばこの人はペットショップで働くということ、その現実を体現するキャラクターなのだと思います。きれいごとではない。育ちすぎて売れなくなった動物の行く末、どこのペットショップでも同じとは限りませんけど、なかなかにハードな話もあって、あんまりだから引き取って自分で飼ってるんだけど、これ以上はもう無理ですみたいなことも聞いたことがあります。まあ、でも、この漫画にはそうした描写は出てきません。育ちすぎて売れ残ったヨウムがいても、店で面倒みるかなんて話になって、こういうところはほのぼのなのでしょう。
しかし、それでも動物を飼うということ、動物に関わるということの責任、意味を突きつけるようなエピソードも出てくるから、決してやさしい、甘いだけの漫画ではありません。人間の都合で捨てられる動物たち。彼らの行く末は、決して仕合わせにはならない。それは誰もが知っていることであるのだけれども、それでも捨てられる動物は絶えることなく、そして真田ぽーりんはそうした現実を描いて、感傷を多少は交えつつも、そこに人の責任を、なすべきこと、考えなければならないことを提示するのですね。その時に際立つのが、普段はなんだか嫌な人に感じてしまう店長で、あの人のシビアさは現実に一番近いゆえのものなのだ、そう思わせます。これは漫画で、夢のようなこと、あって欲しいと望むことを描くことは可能だけど、現実に起こっている問題はそうはいかない。そうした現実に対する解を担うのがほかならぬ店長で、時に残酷であったり、時に酷薄だったりする彼の態度こそは、この漫画の天国的な状況をより一層尊いものにさせるように思います。
さて、『ドボガン』2巻ではちょっと恋愛にまつわるエピソードが出てきて、趣味がすごく合う異性との出会い。ある種、マニアには夢のようなエピソードであるのですが、深く踏み込んだ二人であるがゆえの悲劇! いや、詳しくはいえねえよ。知りたかったら読んで下されい。でも、趣味である、こだわりである、そうしたものが近ければそれだけ、ゆずれないポイント、見過ごせないポイントが、致命的に存在するのは避けられない。これは、実際にあってもおかしくない。コミカルに描かれていますけどね、うまく運びそうな気配さえ感じさせますけどね、でも現実だったらどうだろう。あるいは私だったら? いろいろ思ってしまうのは、なんかほっとけない、そんな気持ちにさせられてしまうからなんだと思うんですね。
けど、悪いけど、応援はしねえよ。理由はいわないけれど、応援はしないよ。ああもう、絶対するもんか。
『
この漫画が始まった時には、まさか後に結構好きになってしまうだなんて、想像だにしなかったものでした。『たまごなま』のヒロインは、小学五年生の女の子、こころ。不慮の事故で母は他界、そして父も……。といいたいところですが、なんと父は娘のパンツに、寄生なのか? 融合なのか? よくわからないのですが復活して、ええと取りついてる? とにかく全然意味わからないのですが、まあいるんです。娘のパンツの、その、お尻のところに、なぜか蛙の姿となって住んでいるんです。いやしかし、このぶっ飛んだ設定には瞬間判断力が停止してしまって、受け入れるとかどうとかいう以前の問題でしたよ。実際の話、困ったんだと思います。どう思っていいかに困ったのだと思います。そして、判断力が回復したその瞬間、拒否反応を示したのでした。
『境界恋愛少年少女』は、『コミックエール』に連載された漫画。繊細な筆致で描かれるボーイ・ミーツ・ガールの物語に、私はすっかり見入られてしまって、しかしなにが私をそれほどに捉えたというのでしょうか。それは、悲しさを心いっぱいにたたえた少女、ウィンセリアの美しさ、儚さと、そして主人公の少年、ハルヒコの一途さ、健気さの出会うその局面に見出されるもののためであった、と思っています。見出されるものは、幼い恋愛のほほ笑ましさがまずあって、そしてそこには呪いというちょっと痛みを覚えさせる設定があって、ですがその痛みもまた心地よかったのです。
うおなてれぴんは病みつきになる。これは私が『

先日、『
知らなかった! こんな本が出ていたなんて。その本の名は『遊べる!!美少女ゲームクロニクル《PC98編》』。これは正直買いだと思い、即座に注文、かくして現在手もとにあるのであります。しかし、なぜそんなに欲しいと思ったのか。PC98ユーザーだったわけでもないのに。後に実機を手に入れて遊んだとはいえ、PC98全盛期の頃は、まったくといっていいほどに関わりを持たなかったというのに。いえ、だからなのだと思います。関わりを持たなかったことが、逆にPC98をプラットフォームとするゲームに、ちょっとした憧れを持たせることになったのでしょう。かつて私は、Sofmapのフリーマガジン『ソフマップワールド』をもらってきては、そこに掲載されているPCゲームを眺め、PC98を内心うらやましく思っていました。なにしろ私はMacユーザーでしたから、ゲームというとほぼ洋ゲー。アクションやシューティングこそはあっても、美少女ゲームはまずありませんでした。人間はえてして手にできないものに憧れを持つものだと思います。そう、私の憧れたゲームとは、そうした系列のゲームであったのでした。
言葉というのはつくづく難しい。文章といったほうがより正しいのかも知れませんけれど、こうして毎日毎日、なんのかんのと書いていると、だんだんになにをどう書いたものかわからなくなってくるのです。思ってることがあって、それを言葉にしたい。その思っていることに一番近い表現を探すのですが、なかなかしっくりくるものが見つからない。そんな時には、インターネットをむやみにさまよってみたり、ぼさっとしてみたり。これを指して迷走というのだと思うのですが、しかし自分はなんで、こんな誰が求めているわけでもない文章を書くのに、こんなに時間や労力を傾けているのだろう。空しくなったり、嫌になったり、でもまあそれでもなんとかやっつけてきました。
『
今日は『
コンピュータを修理に出している間は、ポータブルCDプレーヤーで音楽を聴いていた。その話もこれで終わり。今日は、第三夜に聴いたCDを取り上げようと思います。さて、その前にちょっとつまらない話。いやね、私も人間だから、暮らしていく上でいやんなったりすることがあるわけですよ。ちょいとそれって違ってないかねと、よしゃあいいのに指摘したら、ねちねちとしつこくやられてしまって、ああもういいよ、あんたが勝ちでいいよ。議論なんてのは勝ち負けじゃないんですが、人によってはどうも勝負事であるようで、そういう人に指摘しちゃいかんですね。とまあ、そんな感じでげんなりした夜、なんぞ音楽をと思って選び出すのがブルースときた。でも私はブルースのアルバムなんて持ってなくて、ということは、そうご存じ
コンピュータを修理に出していた間、ポータブルCDプレーヤーで音楽を聴いていたということはもういいました。その時、一番最初に聴いたのが
私は今までゲームの周辺商品に金をかけることをしなかったのですが、コントローラにはめ込むとジョイスティック風になるアタッチメントとかああいう類い。昔からいろいろあるわけですが、まったくといっていいほど手を出してこなくて、だからこうしたものを試すのは、DS関連商品がはじめての経験です。ほら、
表向きには保守的な振舞いをしているけれど、元来私は新しい物好きで、そしてかなりの物好きです。そんなわけで、電脳フィギュア ARisが発表された時には、これはちょっと欲しい! そう思ったものでした。電脳フィギュアというのはなにかというと、カメラで映し出された映像に、リアルタイムでキャラクターを描画、合成するというソフトウェア。もちろんフィギュアにはこちらから働きかけることも可能。これはちょっと面白そうだ。基本的に、フィギュアに興味のない私が、これは欲しいかも知れない、そう思ったのは、コンピュータあるいはエンターテイメントの可能性を思わせてくれるものが具体的にそこに用意されたからであろうかと思います。
いよいよ十月に入り、ペン習字講座では、ボールペン字での筆記課題が登場しました。これは私にとってはかなり厳しい課題でありまして、だって私は日頃ボールペンをほとんど使わないものですから、慣れていないのです。学生時分には
『
作者、曙はる、プロフィールにて曰く、
探偵小説といえば、いわずと知れたシャーロック・ホームズ。実は私は、この古典ともいうべき名作をきちんと読んだことがありません。子供の頃、盆暮れに訪れた伯父の家、従姉の書棚には推理小説がばっちり並んでいて、そこには江戸川乱歩、アルセーヌ・ルパン、そしてホームズもあったというのに、私はというと乱歩とルパンをばかり読んで、ついぞホームズに手を伸ばすことはありませんでした。一体なにが原因だったのか、それはわかりません。子供の頃からフランス贔屓、というのはまかり間違ってもない話で、だってその頃は、自分が将来語学を真面目にやるだなんてちっとも思ってませんでしたから。ともあれ、ホームズはまともに読まなかった。私の知っているホームズは、子供向けに要約されたような、そんなものばかりだったような気がします。
今年の頭に購入した、
ついに購入してしまいましたよ、AppleCare Protection Plan。私はこれまでMacintoshを買ってきて、そのつどおすすめされるAppleCareを、
今年の夏、八月に買った低廉な万年筆、
一昨年あたりくらいから、うちに出没するようになったちびすけが、最近ペンに興味を持っているらしいのです。ボールペンを持って、なにやら殴り書きするようになったらしく、こいつは危険だな。自分の持ち物に殴り書きされた日にゃ、たまったもんじゃない。かくして、かねてより計画していたせんせい購入計画を発動させることにしたのでした。せんせい購入計画とは、いわずと知れたタカラのせんせい、あの磁石の力でお絵描きできるロングセラー玩具を買って、おちびに与えようというものです。あれなら、いたるところに落書きされて困るということはあるまい。そうした目論見からのせんせい購入なのであります。




パオロ・マッツァリーノの新刊が
