2008年10月22日水曜日

遊べる!!美少女ゲームクロニクル《PC98編》

 知らなかった! こんな本が出ていたなんて。その本の名は『遊べる!!美少女ゲームクロニクル《PC98編》』。これは正直買いだと思い、即座に注文、かくして現在手もとにあるのであります。しかし、なぜそんなに欲しいと思ったのか。PC98ユーザーだったわけでもないのに。後に実機を手に入れて遊んだとはいえ、PC98全盛期の頃は、まったくといっていいほどに関わりを持たなかったというのに。いえ、だからなのだと思います。関わりを持たなかったことが、逆にPC98をプラットフォームとするゲームに、ちょっとした憧れを持たせることになったのでしょう。かつて私は、Sofmapのフリーマガジン『ソフマップワールド』をもらってきては、そこに掲載されているPCゲームを眺め、PC98を内心うらやましく思っていました。なにしろ私はMacユーザーでしたから、ゲームというとほぼ洋ゲー。アクションやシューティングこそはあっても、美少女ゲームはまずありませんでした。人間はえてして手にできないものに憧れを持つものだと思います。そう、私の憧れたゲームとは、そうした系列のゲームであったのでした。

しかし、この本がただPC98時代の美少女ゲームを懐古するだけのものだったら、私はきっと買わなかったでしょう。そう、書名をよく見てください。遊べるんです。この本を買うとゲームが8本ついてくる。それは私には極めて魅力的と映って、そしてそこには、私の知る限りにおける美少女ゲームの最高峰『瑠璃色の雪』、は収録されていないんだけど、同じメーカーの『脅迫』が入ってます。これは、買おう。正直そう思った。そしてこれが売れれば、続編が出るかも知れない。そうしたら『瑠璃色の雪』、は持っているんだけど、も収録されるかも知れない。などと思ったのですね。

収録されているゲームは以下のとおり。

  • May-Be Soft『Coming Heart』
  • May-Be Soft『エスケイプ!』
  • アイル『脅迫』
  • 天津堂『MARTIAL AGE』
  • BLACKPACKAGE『Get!』
  • STUDiO B-ROOM『殻の中の小鳥』
  • PIL『女郎蜘蛛』
  • Melody『NIGHT SLAVE』

このうち、間接的にでもタイトルを知っていたのは『脅迫』と『殻の中の小鳥』のふたつだけ。なんとなくでも内容を知っていたのは『脅迫』だけ。けど、なぜか天津堂の絵は知っていました。38ページにね、中華な衣装を着た女の子の絵があるんですけど、この絵を知っていて、ええと、やんやん? いつだったかに見て、いい絵だなと思ったことがあるんですね。

私がこの時代を好きだというのは、過渡期というか、成長期のエネルギーみたいなものが充満していると感じられるから、さらに、ほら以前にもいっていました。

16色しか使えないところを、パレットを工夫し、ドット手打ちで調整して作り上げられたグラデの職人技、あれは本当に素晴らしかった

うん、本当に素晴らしいと思います。あのハードウェアリソースが貧弱だった時代に、創意工夫を最大限に発揮して、少しでも上質なものを作ろうと取り組んでいた、そんな時代だったのだと思うのです。私はもちろん、今の潤沢なリソースを用いて作られたゲームを否定しようとは思いません。それはそれで素晴らしいものがある。ですが、あのリソースが限られた中、作り上げられたものには、今のものにはない価値が確かに存在しています。それは懐古趣味ではなく、あの時代ならではの様式としての素晴らしさがある、そう私は固く信じています。

この本で面白いのが、クリエイターインタビュー。Mey-Be Softの回、次のような言葉が印象的でした:98時代を総括すると「個性が尊重された最後の時代」ってなるんじゃない? 制限が無くなって自由にできる、はずだったのがみんな一緒になった。そうなのかも知れません。制限があった、できることが少なかった。だから、一番表現したいことに先鋭化するしかなかった、のかも知れません。私は、もともとから際物好きというか、とにかくチャレンジしているものが好きなので、今の潤沢なリソースがあってはじめて実現されるようなゲームにもひかれながら、しかし昔のやりくりに苦労しながら作ったゲーム、それこそ「24バイト入らへんねん」っていわれて「24バイトって、何文字や」と。「え〜と、12文字、12文字、12文字」と削って、そういう感じでフロッピーを作ったり、『小鳥』は実は横が26文字、高さ3行の1ブロックが基本単位で、15ブロックが1シーンになるんです。ばっと書き出すと平気で1000文字とか行ってしまうのを、どうまとめるかという地獄の作業がありました。こうした話を聞くと、なんかいとおしさに胸が熱くなります。

私がこの時代のゲームに、というかキャラクター造形に、なんともいいようもない魅力を感じてしまうのは、私がそれらゲームの作られた時代の空気の中に暮し、育ったからということもあるのだろうと思います。正直な話、最近のはやりの絵よりも、PC98時代の絵にひかれるところがあって、例えばリバ原あきの絵などはかなりど真ん中。だってね、これは『殻の中の小鳥』ですが、ヒロインを「石」よばわりする恋『伝説の勇者ダ・ガーン』の蛍ですときたもんだ。しかも面白かったのが、レンとアイシャはバッドってイメージで作っていて、「[中略]恋は死んじゃう」って言ったら[新井和崎氏が]怒って怒って。怒ってくださって本当によかった!

ともあれ、私の青春の時代、私の知らない世界ではこうした文化が花開いていたのですね。そして私は、今になってそうした文化に触れて、ああ私の好きな時代の匂いがする、そう思って、しかも取り戻せないと思っていたものを、こうして実際に触れることができるのです。なんという仕合わせだろうかと思います。

引用

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