探偵小説といえば、いわずと知れたシャーロック・ホームズ。実は私は、この古典ともいうべき名作をきちんと読んだことがありません。子供の頃、盆暮れに訪れた伯父の家、従姉の書棚には推理小説がばっちり並んでいて、そこには江戸川乱歩、アルセーヌ・ルパン、そしてホームズもあったというのに、私はというと乱歩とルパンをばかり読んで、ついぞホームズに手を伸ばすことはありませんでした。一体なにが原因だったのか、それはわかりません。子供の頃からフランス贔屓、というのはまかり間違ってもない話で、だってその頃は、自分が将来語学を真面目にやるだなんてちっとも思ってませんでしたから。ともあれ、ホームズはまともに読まなかった。私の知っているホームズは、子供向けに要約されたような、そんなものばかりだったような気がします。
そんな私が、今この歳になってホームズをちゃんと読もうと思った。なぜかというと、『ああ探偵事務所』に刺戟を受けたからなんですね。あの、ホームズマニアの探偵が主人公の漫画です。話のあちこちにホームズに関する言及があり、おのずとホームズに興味をひかれてしまう、そんな仕組みになっていて、最初私は『シャーロック・ホームズの冒険』、いわゆるグラナダ・ホームズですが、を欲しいと思ったのですけど、さすがによう手が出ませんでした。うん、ドラマは見てたんです。あと、アニメも見てました。どっちも欲しいなあ。買えない値段じゃないけど、買うと生活が苦しくなるから、ここはちょっと見送りです。そして、代わりというわけじゃありませんが、もともとの大本、原作にあたってみることにしたんです。文庫だから安いしね。
新潮文庫版を選んだのは、すでに持っていた一冊が新潮文庫だったから。なんで『帰還』だけ持ってんだよ、といわれても困りますが、まあ読みたい話があったんです。で、次に買ったのが『冒険』。これは夏の百冊ですね。思いがけず欲しくなって買った。ただその時に、いろいろ買ったので、読みはじめるのはこんなに遅くなってしまったんですけどね。
同じ読むなら、発行順に読みたいですよね。そんなわけで、まずは『緋色の研究』に取り掛かったのでした。アフガニスタン帰りの軍医、ジョン・H・ワトスンが、不世出の名探偵シャーロック・ホームズに出会う、記念すべき第一作です。そしてこれが面白い。正直なところを申しまして、これほどまでに引き込まれるものだとは思っていませんでした。謎めいた変わり者ホームズが、謎めいた殺人事件の捜査に乗り出して、あれよあれよと解明されていく事件の意外性。物語は停滞している、そう思わせて、思いきりよく核心に迫るその迫力には度肝を抜かれる思いで、これはすごいわ、ちょっと興奮しました。ロンドンに起こった事件の因果は、アメリカにまで遡って、その顛末も魅せますね。確かにそこには、巻頭に注意書きされていたように、今となれば誤謬であり偏見にまみれた描写であるのかも知れませんが、不思議な説得力を持って迫ってきて、息もつかせぬとはこのことか。
推理ものとしては非常にシンプルで、それゆえに強く引き込むのかも知れません。シンプルといえばシンプルな事件。それが、あそこまで膨らまされている。それも薄く引き伸ばしたなんて印象は皆無。充実した筆致が先へ先へと読み手を誘って、だから今や私の心は『緋色の研究』の次、『四つの署名』に向かって、それはもう逸るばかりです。明日買おう。明日買って、早速読もうと、おそらくは多くのホームズ好きがたどっただろう道を、私もまたたどろうとしているようですよ。
- ドイル,コナン『緋色の研究』延原謙訳 (新潮文庫) 東京:新潮社,1953年;77刷改版,1995年。
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