この本が話題になっているというのは、おぼろげながらも知っていました。東アジアにておこなわれている、児童売買、児童売春、臓器売買を取り上げた小説。今、映画にもなっているんですね。そのためか、書店では話題書のコーナー、かなりの面積を使って平積み。けれど、本来の私でしたらば、こうした流行ものには手を出さないはず。なのにこれを買って読もうと思ったのは、行き付けの掲示板にて、こうした現実は受け入れがたいという感想を読んだからでした。想像の中、いや妄想というべきか、誰も被害を被るものがいないならいけるが、搾取され、傷つけられている人間がいる、そういう現実には我慢できない、耐えられない、お断りだ、そうしたことがいわれていて、これはおそらくは本心でしょう。常なら読まない話題書を、あえて読もうと決めたのは、彼の感想に実感のこもるのを感じたためでありました。
そして私も読んでみて、これは前半と後半ではずいぶん印象の変わる本ですね。児童売買、児童売春の過酷な現場を描く前半と、児童福祉の観点から、こうした被害に遭う子供を救済し、状況を改善しようとするNGOが描かれる後半。もちろんこれはきれいに前後半とわけられるのではなく、それぞれの視点による描写が交互に現れる、その比重が前半と後半で異なるということです。
しかし、前半の描写は本当に酷いものです。貧しい村から子供が買われていくシーンを皮切りに、虐待によっていうことを聞かせるばかりか、人間性を壊すことで思い通りに動かせる空っぽの人間に変えてしまう。従順な、要するにセックスの道具としての子供
を仕立て上げ、搾取する。次々と提示されるそれら描写に対する不快感は、並々ならぬものがあります。そしてこうした不快感は、搾取を行う側にたやすく振り向けられて、すなわち児童売買をなりわいとし売春を強いるもの、自身の欲望を満たすために子供を買うもの、こうした状況に癒着し私腹を肥やすものに向けられることとなって、それは本当に憎悪に近いものにまで変わります。この時点での私の感想は、地獄へおちろ人間ども、それ以外のなにものでもなく、たとえどれほどに美しく、素晴らしく、崇高な文化を築いたとしても、その悪徳により人類は滅ぼされてしまえばよいと、それほどに思ったくらいでした。
しかし、前半の迫力に比べ、後半は弱いなと感じるところが多かった。理由はわかっているんです。NGOに関わっている彼ら、その個々人の思いはわかるのだけれども、いったいなにがその思いの源泉になっているのだろうという、そこが伝わってこなかったんです。確かに、児童売買は大きな問題で、見過ごすことのできない犯罪であるというのはわかります。しかし、それでもなお、世界のあちこちに散見される多様な問題の中から、あえてこの児童売買、売春の問題に身を投じようと思った、その思いの根源がちっとも見えてこないのです。そのために、ナパポーン、音羽恵子というNGOの中心人物たちが、薄っぺらく感じられて仕方がなかった。それこそ、私たちは正義なのよ、といわんばかりの傲慢を感じて、反発に似た気持ちさえ持ちました。だから、あのラストの音羽恵子の決断に関しても、決して好意的に見ることができず、なにか自分探しとやらに興じる人を見ている時の感覚とでもいいましょうか、あるいは圧倒的な敗北感をともに吐かれた南部浩行の言葉に対し意固地になっているだけなのではないか、そんな風にさえ思ったのですね。
NGOの人たちの中では、慎重派ないしは現実的解決法を探ろうとするレックが、唯一といっていいくらいに共感できる人間であったのですが、それは彼が正義という栄光に強くまみれていなかったからだと思っています。そして彼は、子供に対するセックスを見た時に、自分の中に沸き起こる欲望をはっきりと認識して、だから、もしかしたら、彼がNGO側エピソードの中心となったら、ずいぶん読後感は変わったかも知れません。自身の悪徳を自覚しつつ、他者の悪徳を糾弾する。自分の中にもある闇を認識しない人間は、あまりにも一面的にすぎて、結果魅力に欠けてしまうのではないかと、レックを見ていてそう思ったのでした。しかし、レックもそう掘り下げられてるわけでないし、また児童売買従事者側の中心人物であるチューンにしても同様です。彼がこうした最低の仕事をするにいたった理由、それは説明されますが、それ以上のものではありませんでした。貧しさの中、生きるためにはその選択しかなかった。最低の状況の中、悪徳に慣れていってしまう。感覚が麻痺して、それは自分に対しても、また他者に対しても、しかしそれは子供たちが暴力によって人間性を損なわれるということを、補足するためのものであった。だから、やはりチューンの人間性についても、ただの糞野郎以上の感想を得ることはなかった、ように思います。
この本の強さは、子供に対する搾取が、衝撃的に描かれているという、そこなのだろうと思います。あまりにも哀れすぎる状況。しかし、そうした搾取のシステムは描かれても、システムに巻き込まれる人間についての描写は弱かった。システムに抗おうという人間についてはもっと弱かった。そういわざるを得ないと思います。そして、現実は、この本に現れる衝撃的な描写よりもなお過酷だと聞いています。だから私には、この本は少し残念でした。私は児童売買、児童売春の現場のダイジェストを読みたかったのではなく、そうしたシステムに関わろうとする、関わらざるを得なかった人間をこそ見たかったのでした。
引用
- 梁石日『闇の子供たち』(東京:幻冬舎,2004年),216頁。
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