新刊の平積みに見付けて、なんとなく気になって、なんとなく買ってしまった『ソウル・キッス』。購入は7月9日。買って、帰宅して、読んで、結構いいなと思いながら、今日まで延ばし伸ばしにしたのは別になにか意図があったからではなく、たまたま。書きたいなと思いながら、はてどう書いたものかと思いあぐねていたら、更新ラッシュの狭間に入ってしまって、今日まで延ばされてしまった。それだけのことなのですね。『ソウル・キッス』、ジャンルとしてはBLでしょうか。突然の事故で天涯孤独になってしまった高校生、原朔太郎のもとに美しい青年アルが現れて、そして始まる二人の生活。しかしそれはちょっと奇妙で、ちょっと不思議な恋愛の始まりだった。そういうお話です。
謎めいた青年、アルに隠された秘密、それが物語の肝であるのですが、それは当初は徹底して隠されて、朔太郎に対しても、そして読者に対しても。しかしその秘密が明かされることで物語は一気に動き始める。その堰を切ったような急展開はちょっとした見どころであろうかと思います。朔太郎が天涯孤独となった理由、その一端を担うアル。しかし彼の本当の目的は明かされることがなく、かわりにどのような仕打ちをしてくれてもかまわない — 。アルは朔太郎の手を自分ののど元に導き、そして朔太郎は、激情をアルにぶつけるようにして抱いてしまう。その時の描写、受け入れるアルの葛藤、諦念とそして一抹の希望が交錯する、その描写がよかったのですね。そして、すべての謎が解かれる、その端緒が開かれます。
この物語において描かれるもの、それはなによりもまず愛であり、そして罪であるのだろうなと、そのように感じています。愛があった。しかし愛ははたされることのないままに引き裂かれ、そしてそこには罪が残った。罪を負った者たちが、苦しみ迷いながら、またなおも引き合いながら、一度は失ってしまった愛を探している。そうした彼らの姿には切なさが絡みついていて、そしてあがないとともに愛の成就するラストには、背徳にまみれようとも誰かを求めないではおられない、人の心の悲しさがあふれるようでした。
上の説明、ちょっと嘘をついてるのですが、ありのままに書いちゃうとネタバレになってしまいますから、そこは我慢です。それに、まあ、別に人といっちゃってかまいませんよね。人が描いた、人の読むための漫画です。そこには、読者の求める耽美の世界が絢爛と広がって、ある人はこれをご都合主義、できすぎだというかも知れない。ある人は、歪んだ世界を描いているというかも知れない。でも、朔太郎とアルを繋ぐ感情、気持ちはしなやかにして強靱な絆となって、少なくとも私は、そうした彼らの愛のかたちに憧れに似た気持ちを持って、私の愛もこうしたものであればと、そんな風に思ったのです。
愛があるゆえに生じた罪、怒りと嫉妬が、二人の献身的ともいえる愛に対照されて、しかしその愛もまた美しかった。そのように思います。自分のうちに巣くう激しく燃える暗い情熱、それを直視し、そしてついには自らを嫉妬のくびきから解き放つ。それは彼にとっては喪失を伴う決断であったわけだけれど、それをさせたのもまた愛なのだと。そんな話です。そして、罪はなにも彼だけでなく、愛にからめとられた彼ら、誰もが負っていた。愛するがために犯された罪。それは、愛という激情に揺さぶられたならば、誰もが負いかねない、人の気持ちの一途さゆえの罪であるのだと、だから愛は時に劇薬に似るというのだと、そう思わせるものでありました。
ところで、若奥さま風のアルさんは、かわいすぎだと思います。反則じゃないのか? それと、できれば鎌じゃないほうがよかったなあと。いや、彼らをしてそのようなものとみなす、その意図はわかるつもりです。
- ホームラン・拳『ソウル・キッス』(あすかコミックスCL-DX) 東京:角川書店,2008年。
0 件のコメント:
コメントを投稿