『タマさん』の2巻が出て、当然のように購入しました。この漫画は、関西弁でしゃべる猫タマさんが主人公。しっぽが二本、つまりは猫又なのでしょうが、見た目のふくよかさ、にじみ出るおっさん臭さのためか、おそろしくは感じません。一見すれば愛らしい、そんなタマさんがいざなうちょっと不思議の世界。どこかで見たことのある、既存のファンタジーではなく、森ゆきなつ的ファンシーがあふれる世界は、あたたかでやさしく、けれど時にはちょいグロテスクで、そんな不思議を皆が自然に受け入れている。いや、一人だけ頑として拒んでいますが、まあそれはそれで。日常に不思議が隣接し、共存している、そんな感覚が楽しい漫画です。
始まった当初は、幼稚園児ふるるの家族とタマさんの交流を描く、そんな漫画であったのですが、話が進むとともに、隣家の女子高生杏を中心とした関係が広がって、町内のタマさんから校内のタマさんといった印象もずいぶん強くなったように思います。杏の通う高校に普通に出入りし、徐々に知られていくタマさんは、不思議でありながらも身近という絶妙の溶け込み具合で、この溶け込んでいる感触が独特でいい感じです。最初はなんだと思いながらも、直に、すぐに? 不思議のまま受け入れてしまう柔軟性。なんだか人と不思議の間が近いなと感じさせ、そして同様に人と人の間も近いと感じさせる、そうした距離の近さが魅力であるかと思います。
しかし、この距離の近さ、柔軟さがベースにあるから、ふるるの父、如月夕人のかたくなさが際立つんだろうと思えて、いやはや、この人の拒絶具合は尋常ではありません。けれど、人の中には見たくないものは見ないという人もいますし、それもいっぱいいますし、だから本当はこの人の反応こそが実際的なんだと思います。けれど、それがこうもこっけいになってしまうところが、タマさんの世界の不思議に近しいという所以であろうかと思うのです。
タマさんと不思議と仲間たち、そんな雰囲気のある漫画でありますが、学校編でもふるるの家族編でも少しずつ物語が動いていて、学校編では恋愛の方面がちょっと広がりを見せ、家族編では恋愛の方向は残念ながら発展しないことが面白さといったようになって、杏はかわいそうに……、けれどかわりにふるるの母の話が少しずつ垣間見えるようになって、ちょっと切ないのです。基本的には明るく、楽しく、ちょっと剣呑であることが売りである漫画だけど、そうした表情の向こうに恋愛の機微、素直になれない気持ちのもどかしさやほほ笑ましさがあって、そして、もう過去になってしまった愛おしい人との絆のほの悲しさがあって — 。そうした思い掛けない陰り、しんみりとさせるところが、この漫画のまた違った顔、魅力を引き出すように思います。
さて、『タマさん』の魅力といいますと、佐倉さんの下ネタを忘れるわけにはいきません。第1巻の締めにして、強烈な印象を残した彼女の発言は、2巻では残念ながらわずか出るに過ぎず、ああ、心なしか残念でした。いや、下ネタが好きなわけじゃないんです。ですが、佐倉さんは素晴らしかった。強烈に魅力的な人であります。
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