『コミックエール』の創刊号を買った時のことを思い出します。この雑誌、いったいどこで売ってるものか、身近な書店では見付けられないだろうと思い、また実際そうだったものだから、十三駅で降りて少し歩いたのでした。目当ては24時間開いてる書店、店の奥が年齢制限付き、そういう店だったのですが、ありました、店に入ってすぐ、『コミックエール』が3冊平で積まれていて、その後しばらく『エール』の発売日には、十三でおりるのが恒例になりました。そして、帰りの車内、はじめての雑誌、いったいどういう傾向なのか、面白いと思える漫画はあるのか、期待よりもちょっと不安のほうが大きい、そんな気持ちで読みはじめて、けれど面白かった。そして一番好きだと思ったのがシギサワカヤの『溺れるようにできている。』でした。
なにが面白かったのでしょう。ヒロイン、大学生、眼鏡、めっちゃ辛気臭い娘。なんかうじうじとして、ネガティブで、なにかあると悪いほう悪いほうにわざわざ考えて、確かめてみりゃいいじゃん、と思うんだけど、なんかえらく逃げ腰で、それができない。そんなヒロインです。人によってはいらいらして読んでられないかも知れないですね。けれど、これが私にはよかったのです。それは、こういう辛気臭い女の子、大好きだから! じゃなく、私自身に、そうした要素があるから。恋愛にはまると誰もがそうなってしまうのかも知れませんが、気持ちのアップダウンが激しくなって、ちょっとのことが気になって、ああだこうだと考えて、けどいちいち聞いたらうざいよねって、思う。うん、うざいね。女の子ならともかく、おっさん、いやあの時私はまだおっさんじゃなかった、けどきっとうざかったんだろうなあ。そんなわけで、ごめんね。Blogやってること知らせてないから、絶対気付かないだろうけど。
自分の内に潜り込んでいくような、そんな思考をするヒロインだからか、自然漫画もヒロイン佳織の内面に深く入り込んでいくこととなって、この沈み込んでいくような感触がよかったのだと思うのです。なにげない他人の言葉に揺れ、付き合っている男、六歳年上の圭ちゃんの一挙一動に揺れ、そしてだんだんと不安の側に引き寄せられていくような、そんな様子はよくわかる。特に、佳織のように、自分に自信の持てないタイプだとなおさらそうだと思い出す。なんか他人事でなくて、なんか変に心配で、だからそんな彼女がだんだんとほころんでいくようなところは、見ていてとてもいいと思っていました。
恋愛は相手があってのものだけど、えてして自己完結してしまいがちでもあって、この漫画にはそうなる一端が表れていたように思います。自分の中にため込んでしまう。思ったこと、不安や不信ならばなおさら。そしてこれが自己完結に向かう一歩となって、誤解や曲解、都合のいい理想、あるいはありもしない裏切り、そういったものに沈んでいってしまう。好きだからこそそうなってしまうというのが、恋愛のモードの怖いところだと思って、けれどその疾風怒涛こそが恋愛の面白さなんでしょう。私はもう体力がなくて、その浮き沈みに耐えきれないから、恋愛は駄目です。駄目になったからこそ、こうした漫画で追体験する。ええ、実によい疾風怒涛でありましたよ。
恋愛における自己完結、それを避けるには、ぶつかるしかないのだろうなと、自分の駄目なところをさらけ出し、相手の駄目なところも受け入れて、それができないと恋愛なんて続かないのだろうなと、そう思えるラストに行き着いたのが本当によかった。そう思っていて、しかしこの漫画は、恋愛中の心情をよく掬い上げて、しかし徹底して美しい恋愛に向かわせない、そうしたところが面白いです。ロマンチックな話になってきたと思ったら、台無しな展開に。なんだかいいシーンになったと思ったら、やっぱり台無しな展開に。心にぐっとくる、そんな決めぜりふがあっても、ヒロイン聞いてないし! けれどこの台無しの展開が、恋愛をよりうまく表していたような気がします。恋愛に限らずなんでも、そんなに理想的なかたちにはならないよって、日頃思い描いているような、美しくて、かっこうよくって、ドラマチックな、けどそんな恋愛なんてないよっていわれてるような気分でした。恋愛でもなんでも、結局はその人のなりなんだよ。だからなんでしょうね、度々の台無しな展開に佳織や圭ちゃんの人となりを見てしまうのでしょう。それは多分にコミカルだったりするのだけれど、その身の丈にあった恋愛の姿にほっとする。無理をせず自然体で向き合う、おそらくはこれが佳織の一番の成長で、圭ちゃんにとってもそうか。自分の中にため込んで、ぐつぐつと煮込んで仕上げたような虚像ではなく、現実の景色の中、そこにいるあなたとともに確かめあう、そこに本当の恋愛はあるのだと、そういう物語であったのだと思うのですね。
最初はうじうじとして、辛気臭い女だった佳織が最終回で見せた表情の数々、それは本当に素晴らしく、魅力的なものでありました。吹っ切れた、自分で自分にはめていたかせから自由になった、そんなぱっと明るく、開けたような気持ちのよさにあふれた表情でした。こうした変化は、しんどい恋愛を真面目に受け止めて、乗り越えてきたからこそのものなんでしょうね。そうした成長が、見た目にとどまらず、さらにその奥にまで踏み込んで、理解し、受け止めるまでにいたらせて、ええ、恋愛を描いて、恋愛だけにとどまらない面白さも与えてくれた、そんな漫画でありました。
ところで、私が圭ちゃんのもろもろ、よくいえば決断力のあるところとか、有り体にいえば男らしい身勝手さというかに不快を感じてたのは、別にそれで普通だったのかな? というのが後書きを読んだ感想です。嫉妬のあまり憎しみが、ってわけじゃなくてよかった。私、ああいう俺についてこい型の匂いをさせる男って嫌いなんですよね。ですが、あなたの気持ちを尊重します、っていうのをやり過ぎると優柔不断といわれます。佳織は優柔不断型でしたね。私も気をつけよう。なにごとも程々が肝要であると、佳織を見ていて思いました。
- シギサワカヤ『溺れるようにできている。』(まんがタイムKRコミックス エールシリーズ) 東京:芳文社,2008年。
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