『カルドセプトDS』が出たわけですが、寝ても覚めてもカルドセプトとはなかなかいかず、というか脳が疲れてしまってへろへろになるので、他のこと、まったくできなくなってしまうので、程々で中断して『アーモダイン』をプレイしてます。『アーモダイン』、面白いよ。というか、これも中盤過ぎるとだんだん難しくなってきて、どうもこうもなく勝てないようになってきて、歯を食いしばりながらプレイしている。ってこれは違う話。ええ、今日は変わらず『カルドセプトDS』の絡みでございます。
さてさて、『カルドセプトDS』はセガサターンで発売された『カルドセプト』の移植版であるわけですが、ということはつまり音楽が昔のものと一緒、というのですから、これもまた懐かしい。私は『カルドセプト』はPlayStation版からのユーザーで、『電撃PlayStation』誌についてきた体験版プレイして、その面白さに打たれて、急いで買いに走ったなんてのがまるで昨日のことのように思い出されますが、そのゲーム、よかったのはゲーム性だけではありませんで、カードや勝利時の一枚絵などグラフィックの魅力があり、そして音楽も素晴らしかったのですね。だから、私はサントラを買いました。とはいっても、もともとはサターンのゲームです。出ていたサントラはPlayStation版ではなく、サターン版。でも、同じ曲だから問題ありません。
そんなわけで、DS版のサントラもこれで代用だ、とはいかず、なんとこのアルバムを復刻、同梱するDS版サントラも出るそうです。これは、買わなくっちゃだわ! というか、三枚組だそうで、ゲーム音楽を取り巻く状況はずいぶん変わりました。際物から、音楽を支えるプラットフォームとして充分に成熟した、またそれを受け入れる土壌も充分に育っている、ということなのだと思うのですね。
カルドセプトの音楽、作曲者は二人。古代祐三と柳川剛。特に後者は、これがデビュー作であるのだそうで、しかしそんなことちっとも思わせない、魅力的な曲がたくさんあって、実際私の一番好きな曲ビスティームの作曲者はこの人でした。また多くの人が長時間聴いたに違いない、ブック編集の作者もこの人で、ブック編集の音楽は、静かで、邪魔にならず、けれど心休まるような、そんな素敵な曲でした。
各ステージの雰囲気を決定する、戦い序盤の曲はそれぞれに個性的で、穏やかだったり、のんびりだったり、かといえば重厚だったり、神秘的なものもあって、それが戦いも中盤を迎えると焦りを誘う曲調に一転する。これがすごく印象的なのですよ。トップにつけているものにとっては仕上げを迫る、追いすがる二位以下にとっては鬼気迫る追跡劇を盛り上げる、そんな効果を担って、充分にその役目を全うしていました。
しかし、今聴いてもいい曲が多いです。メロディに世界観をのせて広く展開する古代祐三の音楽、印象的なモチーフを重ね合わせ織り上げられた柳川剛の音楽、そのどちらも魅力にあふれて、好きな曲は一曲二曲ではありません。印象深く、しかしプレイングを邪魔しない。この相反する要素に応えた素晴らしい仕事であると、耳にするごとに実感させられます。
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