2008年9月23日火曜日

詳説日本史研究 改訂版

 最初は『詳説世界史研究』だけを買うつもりだったのが、どうせだったら一気に日本史も学んでしまおう、世界史と日本史を並行して勉強していくのがきっといいに違いない、そう思ったものだから、一緒に買いました、『詳説日本史研究』。さて、なぜ私は最初に日本史ではなく世界史から買おうとしたのかといいますと、これは本当に私の悪い癖なのですが、基本的に目が西洋にむいているんです。もちろん日本の歴史の面白さも知っています。けど気を抜くと西洋を向いてしまう。西洋が東洋より上だなんて思っちゃいないんだけどなあ。だから、こればっかりはもう子供の頃からの癖としかいいようがない。おそらくは、遠い異国への憧れがあるんでしょうね。でも、それがヨーロッパであって、イスラム世界やアフリカでないというのは、やっぱり問題です。

ともあれ、買ってきてからぱらぱらと、適当なところ開いては眺めているのですが、そうしたら面白いのがなんと日本史だったというから意外でした。いや、別に意外に思う必要はない、素直に面白がってればいいだけなんですが。

しかし、なぜ日本史の方が面白いんでしょう。地理が頭に入っているわけでもない私にとっては、日本史も世界史もどちらも似たようなものなんですが、しかしそれでも日本史の方が読ませる。そうですね、昨日いっていた、ひとつの時代が端的にまとめられている、そのまとめから漏れる部分がたくさんあった世界史よりも、拾い上げられる部分がずっと多い日本史の緻密さが、面白さを感じさせるのだと思います。その緻密さがために、事項の羅列という感覚はずっと遠くに押しやられて、生き生きとした記述に引き込まれると思えることが多かった。

でも、これは仕方がないのでしょうね。日本史と世界史では、その扱われる範囲が違います。時間的にも、地理的にも、世界史の方がずっと広範囲で、なのにページ数はそんなに違わないんだから、世界史が大味になってしまうのは当然です。だから、本当はヨーロッパやアジア、アメリカ等々、各地域ごとにわけて詳述されたテキストがあればいいんでしょうね。まあ、それが各2500円とかなると、買うだけでえらく大変なことになりますが。

私が日本史のテキストに期待するのは、実は近現代であったりします。今、私たちが生きて暮らしている、この時代に直結している、その時代について私はあまりにも無知でいます。昨日もいっていましたね。歴史の流れを知ることで、今の状勢を少しは把握できるようになるかも知れない。知るべきことの大半は、日本近現代史にこそあると思われて、だから私は、きっとこの本を、頭からではなく、逆に読んでいくことでしょう。今の状況の前を知り、その前状況を用意した時代とはいかなるものであったかというように、遡ってくのだと思います。

そして、この本で大きな流れをつかんだら、また違った本に詳述を求めるのでしょう。副読本ですね。あるいはそちらが主となるのかも知れませんが。それがいったいどういった本になるのかはわからないけれど、いつかたどり着くその日を楽しみにしたいと思います。まあ、年単位で先の話っぽいですけどね。

といったわけで、当初の目的であったQMAは、なんだか後景に押しやられてしまったようです。いかんいかん。こっちもがんばります。

引用

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