2007年3月30日金曜日

The Memory of Trees

 それはまだ私がエンヤをその名前でしか知らなかった頃の話で、大学生だったか、そのくらい。確か夜の十二時を少しまわったくらいのテレビで、こちらを凝視して歌う女性がすごく印象的なPVが流されていたのでした。私は、そのPVの様子もですが、それ以上にその音楽の印象にすっかりとらわれてしまって、けれど私にはその曲名も歌っている人も覚えられずに、だから普通に考えると、わからないままに忘れ去られるほかないという、そんな出会いであったのです。ですが、運がよかったんでしょうね、その後その曲がエンヤのAnywhere isであることが知れて、だから私はすぐさまその曲の収録されているアルバムを買いにいきました。それがThe Memory of Trees。私がエンヤという人を意識して聴いたはじめてのアルバムです。

このとき、すでに日本でのエンヤの人気は確立していました。おしゃれな響き、シンセを用いたちょっとミニマルチックな楽曲は、電気音楽というよりも自然や情感を意識させる雰囲気を持っていて、美しいメロディに印象的に響く歌声。生の音楽では表現しえない響きが、けれど逆に人間の身体を感じさせるといったら不思議な感じがします。けれどそこには間違いなくエンヤという人の感覚、身体に発する豊かなエモーションのようななにかを聴き取れるとそんな風に思ったのです。

だから買ってからはしばらくこれを聴きまくっていました。そうだ、当時私は曲売りのバイトをやっていて、そん時にエンヤを意識して、ちょっとテンションを追加したピアノのアルペジオをベースに、それっぽいのを作ったりしていました(誰もエンヤを意識したとは気付かないってのが泣かせるんだけどもさ!)。

エンヤの音楽のよさというのは、メロディや和声の使い方、印象的なフレーズが何度も繰り返されるミニマル音楽的な高揚、そして音の選択であると思っています。弦の低音が基底のリズムを刻む気持ちよさや、ピアノのアルペジオの繰り返し。そこにかぶさってくるシンセサウンド、エフェクトの加えられた歌声、コーラス。それら音の組み合わせが、独特の世界を作っていると思えます。そのどれもが少しずつ現実の音とは位相を変えて、見知った世界とは異なる風景を組み上げ描き出す、絵画的印象のある音楽であると思うのです。

エンヤは音素材を電気的に加工しながら、音楽の素材は土俗的なもの、宗教音楽的なもの、そうしたものに求めているために、テクノとは一線を画し、ポップにもならず、ましてやクラシックでもないという、独特の中間地点に浮いている。そういう面白さがあります。聞きつければ、食い足りないと思うこともあれど、けれどすっと心に忍び込むような優しさがあります。それは、尖った表現を選ばず、むしろ穏当な素材を重ね膨らませるという、そういう作風のためであろうかと思います。宗教的な敬虔さや、人の声の風合いの柔らかさ、時には気持ちよく心をざわめかせてくれるリズムなど、そうした素材の組み合わせがうまく働くものだから、聴けば気持ちよく、穏やかさを感じ取る。そうしたものがエンヤの音楽であると思います。

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