かつて妹ブームなんてのが吹き荒れた頃には、興味なんかないねっ、とばかりに無視してやり過ごしたのですが、そうしたブームが過去のものになろうとしている昨今、なんだか妙に妹ものってのも悪くはないんじゃないかという思いがもやもやと湧き上がってきまして、しかし一体この宗旨替えはどういうことなんでしょう。推測しますに、ブーム渦中の妹ものによくよく見受けられた、あざとさというかあまりに型にはまりすぎていた様というか、そうした傾向に対する反発があったのが、ブームが過ぎるとともに薄らいだのでしょう。そうなれば、妹ものはパターンから脱してより自由な作風に彩られるようになり、私にしても受け入れやすくなったというわけで、まさしくブームが環境を成熟させたというやつなんだと思います? いや、なんかたいそうな話だな。書いておいてなんですが、そこまで大げさに捉えているつもりはないんですが。なんだかなあ。
山野りんりんの『ちこりん日記』は、妹溺愛お兄さんが出てくる妹漫画。まさに妹ものの形式を踏襲していると思われるのですが、けれど中身はというと、まったくもって妹もののパターンに反しています。いや、妹が兄を毛嫌いしているわけではないのです(兄嫌いの妹が出てくるのならテンヤの『先生はお兄ちゃん。』が要注目です)。むしろ妹は兄を好いている。家族のことも好いている。兄を除く家族、つまり父母も娘のことを好いている。こういう相互に仲のよさが強調される漫画であるというのに(ん? 強調?)、しかしこうもおかしいのはなんでなんだろう、ってのは毎回の人物紹介において兄セイジが、ただ兄としてではなく、変態兄として紹介される、そういうところに発しているんでしょうね。
岡田あーみんの『お父さんは心配症』に通ずる味わいが感じられます。『お父さんは心配症』というのは、今更説明するまでもなく、娘溺愛パピーが出てくる漫画でありますが、けど溺愛は溺愛でいいけれど、その愛情の表現の様がどう贔屓目に捉えても普通ではない。そのパピーの普通でなさを楽しむのが『お父さんは心配性』の醍醐味であるならば、やはり『ちこりん日記』においても同様、兄の変態ぶりをどう楽しもうかが重要になってくるのだと思われます。
あまりに素直で天真爛漫な妹ちこりを心配する揚げ句、事情常識あらゆることを犠牲にし駆けつける兄貴。もはやそれは暴走であり、傍目に見れば犯罪性さえ感じ取れるほど。巻頭人物紹介に曰く、妹ちこりを溺愛するあまりしょっちゅう暴走。不死身。職質経験数知れず
。ふ、不死身なんだ……。それはともかく、兄が職質ないしは逮捕(任意同行?)で落ちがつくというのがパターンギャグになってしまっている、そういう漫画です。
けど、それでも後味の悪さなんてのを感じないのは、やっぱり作風のためなんでしょうか。父母に始まり彼女までに心配されている兄セイジに対する妹の態度はあくまで好意的であり、ぎすぎすしたりぴりぴりしたりという、ネガティブさはきれいに払拭されているという、そういうところがきっと大きいのだと思います。またこのほのぼの色の強さが、兄セイジの変態性を浮き上がらせているわけで、やっぱりこのへんは山野りんりんの作風があるんだなあと思います。
そうそう、冒頭になんか小難しくごちゃごちゃ書いてましたが、私がこりゃあいいやと思っている妹ものってのは、女性作家によるものが圧倒的に多くて、だから『ちこりん日記』に対しても同様の理由があるんだと思います。あくまでも妹を妹として見ている兄、兄に対して都合がよすぎない妹、そういうのがいいのかな? いや、どうなんだかはわかりませんけどね。
- 山野りんりん『ちこりん日記』第1巻 (バンブー・コミックス) 東京:竹書房,2007年。
- 以下続刊
引用
- 山野りんりん『ちこりん日記』第1巻 (東京:竹書房,2007年),4頁。
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