2009年2月9日月曜日

花と泳ぐ

 花と泳ぐ』が完結。儚げな雰囲気、ちょっと陰鬱なモノローグが気になる漫画でした。ヒロインは、幽霊。菊子。いつか彼女との別れがくるのではないか、それも不可避のものとして、不幸と直面させられるのではないか。私はそのことをただただ怖れ、それだけにただただ幸いなものとして描かれる、物語上の現在に救いとなる明るさを求めていたように思います。悲しみを内包しつつ語られた『花と泳ぐ』、果してそのラストに辿りついて、私はどのように思ったのか。実は、私は、その不可避なる悲劇、それを心待ちにしていたのかも知れない。引き裂かれるような別れの情景、慟哭の結末、それを見たいと思っていたのかも知れない。そういうのは、エンディングに漂う甘い空気に、むしろ戸惑いを覚えたからです。甘い — 。けれど、それが仕合せなら、それでいいじゃないか。ええ、それでいいと思います。私だって、幸いな方がいい。しかし、なにがあっても驚かないぞと、とうから決めていた私の覚悟は空振りしたのかもなあ。そう思わされたのも事実。ちょっと苦笑した。幸いにほころぶ気持ちの一方に、やれやれと苦笑いする自分を感じていたのでありました。

しかしその苦笑いも、幸いであるからこそのものであった。そういう風にも思います。その一方で、この仕合せな結末は、当初から予定されていたものなのだろうか。そのようにも思います。数年をかけて、少しずつ、大切に大切に紡がれた、そうした印象さえ深い物語。その語られる時間の長さが、作者をして、菊子、そして幸太に情を移させることとなった? 情の移ったがゆえに、つらい展開を避けさせた? それはわかりません。作者がではなく、読者の不安や怖れる気持ち、それをうけて悲劇は回避されたのか。それもわかりません。ただ、確かなのは、その結末が仕合せと感じさせるものであったこと。それだけです。

しかし、私はこの物語を連載で読んで、そうした幸いに落ち着くことはわかりきっていたというのに、第3巻の内容を読みなおしていた時、その沈み込んでいくような幸太、菊子の感情に、思いのゆきかうその様に、泣きそうになってしまったのでした。それはやはり彼彼女らの物語にひきこまれてしまっていたから、なのでしょうね。私はあらためていうまでもなく、この人たちのことが好きでした。日常の、なにげない出来事に仕合せを感じる、そうした彼らの暮らしの光景に、私もささやかながら幸福を感じていたのかも知れません。しかし彼らの仕合せは、いずれゆらぐだろう。そしてついにゆらいだ。その時、私のうちにあった愛おしさが、たまらないほどにふくらんで、胸が詰まりました。それからの展開は、残念ながらお定まり、そういうべきものであったかも知れません。急ぎすぎ、そういってもいいものであったかも知れません。けれど、そんなことは問題にはなりませんでした。それは、このラストに漕ぎつけるまでに積み重ねられてきた幸いの実感、それが静かながらも豊かに、私とそしてこの物語を包んでいたからだろうと思います。

幸いに終わってなによりでした。いや、別に私は、悲痛に泣き暮れたってよかったのですけどね、それだけの準備はしていましたし。でも、やっぱりつらいのはいやかもね。それも、あの花のほころぶように笑う菊子さん、はにかみながら笑う幸太さん、この人たちが悲しい目にあうのはいやかもね。だから、これでよかったのだろうなあ。そう思って、自分の甘さに苦笑いする。けど、胸いっぱいに広がるさいわい。それが自然と笑みを誘って、ええ、私はこのラストを結構気に入ってるんです。

  • 口八丁ぐりぐら『花と泳ぐ』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2006年。
  • 口八丁ぐりぐら『花と泳ぐ』第2巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 口八丁ぐりぐら『花と泳ぐ』第3巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2009年。

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