2010年3月10日水曜日

まんがタイムきらら:系列3誌についての印象

ついこないだ、『まんがタイムきららキャラット』について書いていた時のこと、好きな漫画が多すぎるせいで感想が長くなって、書いても書いても終わらない、みたいにいってたんです。沢山書くのもしんどいし、かといって好きな漫画を飛ばすのもまた辛い、そんな感じの話。そうしたら、『きらら』と『キャラット』の違いってなんでしょうっていう質問をうけたんですね。ああ、なんとなく違うって思ってる、でも実際のところ、どこがどう違ってるんだろう? 考えれば考えるほどわからなくなりまして、とりあえず宿題にしてもらったのでした。

けど、本当にどれだけ違いがあるんだろう。『MAX』は結構違うかなっていう印象はあるんですよね。これは雑誌創刊時の印象のせいかも知れないのですけど、『きらら』よりも『キャラット』よりも、より先鋭化された雑誌としてスタートして、けれどそれが微妙に当初路線から逸れたせいで、なんともいえん独自色が残った、そんな感じにとらえています。色物っていったら失礼ですけど、自らカテゴライズされることを拒否するかのような自由さを持って展開する、そんな漫画が多いのが『MAX』という印象があるんですね。

じゃあ『きらら』と『キャラット』は? というと、『キャラット』はもともとファンタジー色の強い漫画を集めてみました、っていう雑誌だと思うのですが、そういう色はもうなくなってるように思うんですね。じゃあ、どんな色なのさ、といわれるとはたと立ち止まる。厳密に見ようとすれば、『きらら』はこうで、『キャラット』はこう。こういうところが特色で、こういうところが違います、といえるほどに違ってはいないと思うのです。さらにいえば、『MAX』も同様なんだと思います。だから、ここは考えてはいけない。考えるのではなく感じたことをそのまま言葉にしたらどうなるだろう。

昨日、『まんがタイムきらら』について書いてみた時に、ふと思ったんですね。私にとって『きらら』とは、オーソドックスながらも結構アグレッシブに毛色の違う新作を開拓しようとしてる雑誌かなって。対して『キャラット』はというと、大幅に逸脱することを避ける、おとなしい、そんな印象があるんですね。この逸脱を避けるという印象は、一時期の『キャラット』の印象によるものかもなって。えっ、『火星ロボ大決戦!』とか載ってたのに? 『雅さんちの戦闘事情』とかも載ってたのに? っていわれたら、たしかにそのとおりなんですけど、けれどキャラクターの心情や物語を追おうとする、そんな漫画が記憶に色濃く残ってる、そんな気がするんですね。

オーソドックスなのは『きらら』なんだと思います。だから、『キャラット』もオーソドックスから逸脱しようとする、そんな傾向を持ってるんだとは思うのです。けれど、その逸脱は私の傾向にあっている。だから、おとなしい、なんて感想が出てくるのでしょう。水があっている、同じテンポで踊れる、っていうだけの話。きっと一般化はできない、そんな極めて個人的な感想でありました。

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