2009年3月2日月曜日

ヨメけん — お嫁さん研究クラブ

 今日は3月2日。気付けば、もう3月なんですね。私の1月2月はいったいどこに消えたのだろう。日々がその実感を手に残すことなく、ただただ流れ去るばかりであるのは、きっと私が今を生きていないからだ。生ききっていないからだ。そんなことを考えながら、この数日を過ごしていました。なんとかしないといけないなあ。そう思っては、場当たり的にいろいろ思い付いては、ああ、駄目だ、否定して、けれどなにか打って出ないことには始まらない。そう思っていた矢先の『まんがホーム』4月号、楽しみに読んでいる『ヨメけん』にちょっと動きがありました。

今回はいきなりネタばれからスタートしますので、読んでいない人、連載を楽しみにしている人は、ここで帰ってください。

(画像はほへと丸『ひだまり家族』)

ヨメけんの解散 — 。ルイからひなた先生に突き付けられた最後通牒を受けて動き始める、そんな回でありました。見た目は清楚で、いかにも出来た女性であるひなた先生。しかしその実態は、見掛け倒しというほかないほどにお粗末。しかし同僚教員に事実を知らせるわけにはいかなかった。ヨメけんは、そんなひなた先生の事情から作られた部でした。家事技能の向上を図り、ひなた先生を見た目に恥じない立派な女性に鍛えあげる。

けれど、いつしかひなた先生は当初の趣旨を忘れて、安穏とした今に安着してしまっていたのですね。

私には、この一年、折りにふれては思い出してきたフレーズがありました。それは、忘れもしない一年前の昨日。日記に残るそのフレーズ、頑張れない自分を励ましたい時に思い出し、前に進む勇気を奮えない時に思い出し、しかしいつしか慣れてしまったのでしょうか。気付けば、安穏とした今に安着してしまっていました。このまま時間を過ごせば、じりじりとなんの手も打てないまでに状況は悪くなる。そんなことはわかってた。けれど、わかっていながら、ただ今を浪費していたのですね。

そんな私に、リフレインとして届いた言葉がこれでした。

日常を変える時って
すごくエネルギーいるけど

一度変わった日常は
いつかなじむものなんだよ

このように続きます。

だから大丈夫

先生も頑張ればきっと
自分を変えられるよ

ああ、私は頑張ってなかったよ。そう思って、なさけなくなりました。私はひなた先生に似ているのです。決意し、いつしかそれを忘れる。最後通牒突き付けられるまで、忘れていることにさえ気付かずにいるんです。そして、気付いて、うちひしがれて — 、けれどひなた先生はそこから一念発起する。そこが先生の、そしてほへと丸という人の健全であると思うのですね。

上記の引用は、転校していくカナの台詞でした。変化することを怖れない、そんな真っ直ぐな姿勢が眩しくて、そしてそんなカナはひなた先生を信頼していたのでしょう。そうした気持ちが伝わってくるものだから、あの言葉を見た時は、泣けて、泣けて、そして今日、カナの言葉のリフレインを受けて、やっぱり泣けました。時にくじけてしまう、そんな弱い心を支え、力づけてくれる言葉というものがあります。私にとっては、カナの言葉は間違いなく、そうした言葉のひとつで、今またこうしてカナの言葉に向き合うチャンスを得た。その仕合せに、心から感謝したい気持ちでいっぱいです。

私に先駆けて動いてみせたひなた先生。私も、負けじと動いていきたいと思います。はたして、どれほどのことができるだろう。それ以前に、なにをどうしたものか、それさえわかっていないという状況です。けれど、進むべき先がわからなくとも、目を瞑って、今にうずくまっていることにくらべれば、ずっとましだ。そう信じ、動き続けることをあきらめないでいたいと思います。少しずつでも進んでいきたい、その気持ちを忘れないようにしたいと思います。

しかし、ひなた先生は愛されてるなあ。そこは先生と私の、全然違っているところであります。私も、ルイのような、肝心な時に叱ってくれる人が欲しいものだ。こんなこといってるから駄目なんですけどね。でも、ほんと、ルイはしっかりして情の深い、いい人だと思います。

  • ほへと丸『ヨメけん — お嫁さん研究クラブ』

引用

  • ほへと丸「ヨメけん — お嫁さん研究クラブ」,『まんがホーム』第23巻第4号(2009年4月号),89頁。
  • ほへと丸「ヨメけん — お嫁さん研究クラブ」,『まんがホーム』第22巻第4号(2008年4月号),91頁。

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