2007年6月16日土曜日

チョコレート戦争

  先日購入した『まんがタイムラブリー』において、『サクラ町さいず』の作者松田円がこんなこといっていました。エクレアと言えば「チョコレート戦争」を思い出します。内容は忘れても、お菓子の描写は忘れない私。そう、私もしっかり覚えています。S市はすずらん通りにあるという洋菓子店金泉堂のエクレールを食べようというその描写の巧みさを:

エクレール — それは、シュークリームを細長くしたようなもので、シュークリームとちがっているのは、表面にチョコレートがかかっていることだ。

これをたべるには、上品ぶってフォークなどでつついていたら、なかにいっぱいつまっているクリームがあふれだして、しまつのおえないことになる。そばを、つるっとすくってたべるように、いなずまのような早さでたべなくてはならない。

そのため、フランス語でも、この菓子の名前を「いなずまエクレール」というのである。

この名文に続き実際にエクレアを口にする描写が続くのですが、それがまた大迫力。この本を読んだ当時、まだエクレアを食べたことのなかった私は、この未知の魅惑の洋菓子に魅せられましてね、一体どんなにかすごい食べ物なのだろうとわくわくしたんですよ。エクレアとの出会いは後に果たされ、私はこれがかのエクレアか、いなずまのようにして食べなければならないエクレアかと思って、食べて、幻滅した! それくらい、この本に現れるエクレアの表現は素晴らしかったのですよ。そんなわけで、私はいまだに金泉堂のエクレールに優るフランス菓子に出会えていないのです。

けれど、この本はただお菓子が美味しいってだけの話じゃないんですよ。むしろここにはもっと大事なものが描かれていて、それは一言でいえば名誉であると思います。ある日、金泉堂にシュー・ア・ラ・クレーム(金泉堂ではシュークリームを正式にこのようによんでいた)を買いにいって、思いがけない値上がりに買うことのできなかった少年二人が主人公。なんとかならないものか、金泉堂のショーウィンドウ前に立って話していたときに、突然ウィンドウのガラスが割れた! 金泉堂の主人谷川金兵衛氏はふたりを捕まえて、そうここに冤罪が発生したのです。当然やっていないと言い張る少年たち。だけれどおとなたちは二人の言い分を聞こうとはせずに、今や味方は担任の桜井先生ただ一人。こうした状況のなか、少年たちは大人に一矢報いることができるのか!?

わくわくしましたね。なにもお菓子の描写が素晴らしいだけではないといったのは、この自分の名誉を回復しようと少年たちがとった行動だと思うのです。あんまりいったらネタバレになるから、もしこの本を読んでみたいという人は、ここらあたりでお引き取りを。そう、どうしてもこの先、物語の核心に触れないではおられません。だけど、この本をこれから読むという人には、伝聞ではなく、自ら読んで、知って欲しい。それこそ自分自身が体験するように、物語に出会って欲しいと思います。

さて、少年たちの復讐はまずは間違ったやり方でもってなされまして、けれどそのやり方というのが痛快。けれど大人は一枚も二枚も上手だったという、その流れは今となってみれば非常に正しいものであったと思うのです。この本の作者は、仮に相手が大人であったとしても、自分に非のないときにはきっちり戦いなさいよといっているんですね。けど、それは復讐や意趣返しのようなものであってはならない。正々堂々と立ち向かいなさい、清廉な勝利をつかみなさいと、そういうメッセージが利いている。そうなんですよ。一旦は間違った子供たちは、それによって手痛いしっぺ返しを受けて、そして正しい戦い方に切り替えるのです。そして、大人たちに反省を促し勝利を得たのは、他でもないその正しい戦い方であったのです。

正しい戦い方。 — 相手に打撃を与えるために、自分自身の欲求をも抑えて戦った子供たちの心中はいかなるものかというんですね。この戦い方を選んだ子供たちの意気込みは、物語中にきちんと用意された伏線によってはっきりとさせられます。実は、主人公の一人である明は、先の戦いの前にすでに一度負けていたのです。心で負けているのです。けれど、大人たちの手のひらの上で躍らされたと知った彼らは、名誉のために自分の欲を抑えてまで戦うと決めて、そして同志を募り、この戦いを自分たちだけのものとしてではなく、子供たち全員の戦いにしてしまった。名誉と連帯。子供たちにも意地があるんだよということを、それもわがままや意固地ではなくて、正しい意地の張り方があるんだよと、この物語はいっていて、子供の頃にこの本を読んでは痛快に思ったのは、他でもないこの子供たちの意地が大人の思惑を超えてしまうところにあったんだというんですね。

けれど、ここはやっぱり児童文学の素晴らしいところだと思うのですが、絶対の悪人を置かないのです。一度は子供たちに負けた谷川金兵衛氏ですが、彼にしても決して悪人じゃあない。自らの非を認めて彼は太っ腹なところを見せて、そしてより一層金泉堂は繁盛したのでした。そう。最後にはみんな仕合せになってしまう。戦いなんてなかったように和解して、元通りどころかそれ以上に仲良くなれる。これもやっぱり正しい戦い方なんでしょうね。決着ついたら仲直り。こういうところ見ても、やっぱ、児童文学は真っ向勝負で痛快だというんですね。

引用

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