2007年6月10日日曜日

邪眼は月輪に飛ぶ

 漫画を好んで読む人、とりわけ少年漫画系の人にとっては藤田和日郎という名前は特別の響きを持っているように思うのです。古くは『うしおととら』において一世を風靡して、ヘビーでコアな漫画ファンからもライトな読者からも支持される漫画家、それが藤田和日郎という人だと思います。けれど、ここでちょっと白状しますと、私は藤田和日郎の漫画をきっちり読んだことはないんですよね。『うしおととら』は、最後の方をちょっと読みました。白面と戦うクライマックスの頃だったかなあ。海底にいる敵に人間、妖怪が連合組んで特攻してた、そんな頃を読んでいました(記憶でしゃべってるので違ってる可能性大です)。それと『からくりサーカス』。これは連載開始の頃から読んでいて、けど途中でリタイアしています。面白くないからとかじゃなくて、単純に『少年サンデー』の供給が断たれたから。あの、ゾナハ病の兄さんが死んだかなんだかしたところまでですね。正直なところいうと、これらの漫画きっちり全部読みたいんですが、今から読もうにも巻数が多いから、なかなか手が出ないという、そういう残念な状態になっています。

だから『邪眼は月輪に飛ぶ』を書店にて見付けたときには、そしてこれが単巻ものであると知ったときには、ああ嬉しいと、これでようやく藤田和日郎を読めるという思いでありましたね。買いました。中身も知らないのに。内容はというと、見ることによって生物を死に至らしめる異能を持ったフクロウ、ミネルヴァに命を賭して挑む猟師たち四人の物語。主人公は猟師鵜平に、拝み屋をする血の繋がらない娘輪、アメリカデルタフォースのマイケル・リード、CIAエージェント・ケビン。その誰もがうちに複雑な感情を押し込めながらも、ミネルヴァを追い仕留めるという目標に一致団結し、邁進する — 。その過程が素晴らしかった。

表にはミネルヴァという異形との戦いを配置しながら、その奥には人間のドラマを描いていて、特に主人公鵜平の胸に秘められた思いの鬱屈、この表現が素晴らしかった。どちらかというとシンプルなテーマ、シンプルな話であるのだけれど、それがぐいぐいと読むものの胸に押し込まれるように効いてくるのは、藤田和日郎の描き方の勝利であろうと思います。描き方とは、単に絵の力だけをいっているのではなく、話の運びにおいてもそうで、話の最後、最後の最後に明かされる鵜平の真実、そして鵜平が悔いも恥も乗り越えたあのコマがあれほどまでに力強いものとなったのは、入魂の作画にここに至るまでに少しずつ積み上げられてきた物語が乗ったからでしょう。半ば生きることをあきらめていたとしか思えない鵜平に生きようという思いを起こさせたのは、そして生き残るチャンスを与えたのは、娘輪への情であり、輪の父鵜平に向ける思いであり、そして鵜平とともに走った男たちの執念であったと思うのですね。

そしてそこには間違いなくミネルヴァの存在も効いていて、周囲に死をまき散らすという兇悪な能力のインパクトがまずあって、そして傲った人間どもの思惑を超えて翻弄する強さがあって、けれど生物としての悲しみもともにあって、 — いうならば悲しさを抱いたもの同士が命のやり取りをしていた。そして、その勝者となったものはその悲しみを乗り越えたのだと、そのように思います。

藤田和日郎は、つくづく真っ向勝負の人だと思います。シンプルな話だといいました。今は物語にせよなんにせよ氾濫して、大抵のことは語られてしまっていて、このような状況下で普通のことを語るというのは非常に難しいというのに、藤田和日郎は真っ向から取り組んで、普通を普通でないように語ってしまう。下手に描けばありきたりのそしりを受けるはめになりそうなところが、藤田和日郎にかかれば特別になってしまう。本当に、語る力のある漫画家だと思います。

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