2007年10月13日土曜日

王様は裸だと言った子供はその後どうなったか

 人の読書傾向というものは、日頃出入りする書店に大きく左右されると思うのです。このBlogの記事見てみても、ふと寄った書店で表紙買い、みたいなことはちょくちょく書かれていて、だから品揃えの充実した書店を行きつけに持つというのは、重要なことだと思うのです。あるいは棚の内容に心を配っているような、そういう書店。Amazonのおすすめではないけれど、その書店のおすすめが感じられる店というのはすごくいい。主の好みや主張が匂うようなそういう棚があれば、なんだか嬉しくなってしまって、そうかあ、こんな本があるんだと買ってしまう。残念だけど、そういう書店は少ないんですけどね。実際、私の日頃寄る書店は、売れ筋商品並べてますっていう、主張しないタイプであって、けれど逆に売れ筋を知るということに関してはいいのかも知れません。

売れ筋、中でも新書をたくさん入れる書店があるのはありがたい。新書というのは、その時々のはやり廃りをよく反映して、読まなくともおおむね世情をうかがうことができる、そういうものだと思います。けど、なんだか最近の新書って、いや新書に限らないですけど、むやみにタイトルを長く付けたものが多いですね。『さおだけ屋』あたりからの風潮だと思うのですが(私はあの本に関しては無闇に褒めすぎたと反省しています。そういえば、押し売りめいたさおだけ屋が逮捕されてたりしましたね、あの本とはちっとも関係ないですけど)、あんまりに甚だしいものがあると、逆に手に取る気を失ったりして、そういう意味では『王様は裸だと言った子供はその後どうなったか』は危なかった。これ、著者が森達也だったから買ったんですが、もしそのことに気付いてなかったら、そのままパスしてしまったろうと思います。

『王様は……』は、童話昔話あたりを取り上げて、その続きを考えてみましたといったような感じでつづられるエッセイ調の読み物で、まれに勘違いしている人もあるようですが、『本当は怖い○○』の類いとは違います。ジャンルとしてはパロディでよいのだと思います。かなりシリアス、それから辛辣、語り口こそは丁寧で優しいけれど、根底には森達也らしい問題意識がしっかりとあって、今の世情を森がどのように捉えているかがよくわかります。そして、今の世情というものがある方向に傾きを見せているということもうかがえると、そういう風に思います。

森達也は自分自身を評して曰く、いくつかのドキュメンタリー作品を引き合いに「タブーに挑戦する男」などと形容されることがあるが、目的意識や使命感があったわけではなく、要はタブーに対して鈍感なだけなのだ。鈍感であるがゆえに、普通なら取り上げようとする前に自らやめてしまうようなことをやってきたのだと、今風にいえば空気読めないと、そういうことをいっています。そしてその傾向はこの本においても感じられて、正義感に酔いバッシングを繰り返すマスコミを描き、熟考せず煽られるままに燃え上がってしまう意識に対しても触れて、けれどこれらは明らかに意識的でしょう。この人は同調圧力から自由なんだろうなと、いや、自由であろうと意識的に生きているのだろうなと、そんな風に感じています。

もちろんこの本には、そうした政治や世相についての言及だけでなく、人間の弱さや悲しさ、清廉潔白一辺倒ではおられない性状なんかにも触れられて、結構多様な内容を扱っています。パロディとしても秀逸で、どうしても笑わずにはおられないようなものもあって、「第十四話 ドン・キホーテ」のラストの対話なんかはまさにその典型、ドン・キホーテの問い掛ける「……おまえはサヨクだったのか」という台詞には意表を突かれて、なんともいえないおかしみにもだえました。「第三話 仮面ライダー ピラザウルスの復讐」、五反田カラオケスナックの段ではおかしみに侘びしさが加わって、これもなんともいえない味わい、すごく面白かった。飄々としているんですよね。題材の選択、そして展開、そのどちらもがうまい。作者は書きながら考えてるんだなんていっているけど、そしてそれは多分嘘ではないと思うのだけど、各話の構成のしっかりしつつもライブ感を残した感触が、あたかも目の前でそうしたパロディを披露されているような錯覚をさせて、一種の芸ですよね、いわんとするところをよく伝えていると思います。

私がこの本を面白いと思って読めるのは、やっぱり私自身が左傾的であるからにほかならないのでしょう。加えて、煽るマスコミや煽られる大衆という構図も嫌いで、その結果形成される世論、そして同調圧力も嫌いで、 — こうしたものを見るたび、感じるたびに私は長い物には巻かれよという言葉を思い出し、嫌な気持ちになります。私は自分自身を変わりものとわきまえていますが、こうした他者とともに歩むことが難しいものにはとかく生きづらい世であるなと思っていて、そうしたわだかまりを持つ私には、森の言説はすごくしっくりときます。それこそ鳥でも獣でもないような私は、どちらにも組みせず、双方から罵られるのかも知れないかもねと思いながら、けれどそれならそれでいいかと思えるのは、こうした変わりものが他にもいるとわかっているからではないかと思えて、そういう意味においても、森の書くこの本が出版された意義は大きいと思っています。

引用

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