2009年12月8日火曜日

チェルシー

 『チェルシー』、『まんがタイムきららキャラット』にて連載されている漫画であるのですが、私、これ大好きです。いきいきとして躍動感にあふれたキャラクターが魅力的。はじめて見た時に、すごくいい絵! と思ったその気持ちが、その後も膨らみ続けているのです。いや、本当に魅力的なんです。ポップでキュート。オーバーなアクションが絵に展開に活気を与えていて、無軌道な女子高生たちの勢いまかせの青春に私は魅了されっぱなしです。いや、無軌道なのはメインヒロインであるユキだけじゃないのか、っていう気もしないでもないですが、彼女のムダなテンションの高さが、友人たちを、そして私を引っ張っていく。その引き込まれる、巻き込まれる感覚がすごく楽しくて、読むほどに気持ちがわくわくとわきたつのです。

けれど、最初のころは、絵の魅力こそは強いものの、話、漫画としてはそれなりかななんて思っていたのですね。キャラクターの強さ、絵の力で牽引していくタイプの漫画と思って、そしてその魅力の中心であるキャラクターの鮮かさに喜んで絡めとられていた。ところが、そんな印象を一気に変えてしまったのが、ほら、あの落語、三題噺のエピソードですよ。ユキが落語に挑戦するものの、どんどん収拾つかなくなっていく。そのどうしようもない感じに油断したところに、あの落ちがガツンときた、鮮かでした。目が一気に開いたかのような鮮烈な印象に幻惑されて、もともと気にいっていたものが、さらに好きになった。この漫画はいけると、きっともっと好きになる、というか、これまでそれなりとか思っていたことを申し訳なく感じた。それほどに強烈な一撃であったのです。

私は実をいいますと、お笑いという芸能に対する感受性が弱く、テレビでやってるお笑い番組見ても、その面白さがわからない、観客の笑っていることに共感できないことがしばしばです。古典落語とかベテランのやる漫才とかは好きなんですけど、若手の芸に対する受容体を持っていないようで、そのため『チェルシー』のテーマであるお笑いについてもいまいち理解が及ばないところがあるんですね。そんな私ですから、三題噺でようやく反応できたのかも知れません。

『チェルシー』のテーマはお笑いです。平凡、普通から抜け出したいと思ったユキの、よし! お笑いやるよ!! からはじまった漫画です。友人誘ってカルテット結成して、ネタを作って、舞台を踏んで、迷走しているように思わせながらも、実は結構ちゃんと前向いて進んでいるんですね。自分にできることってなんだろう、やりたいことってなんだろう。まだ将来を具体的に描くにいたっていない彼女らが、今の自分たちのやるべきこととしてお笑いを選び、そしてチャレンジしていくという、そのプロットはなかなかに読んでいて気持ちがよいものです。チェルシーというのは、ユキたちのグループの名前であるのですが、チェルシーの他にもロッキン雅や柊リズム、マドモアゼル、卯月社といったユニットがあって、しのぎを削っています。この、ライバルで、けれど仲間でもあるといった様子に、青春群像もののよさを感じとって、ああよいなって思っています。ええ、私にとって『チェルシー』は、お笑いを通じた青春のきらめきがまぶしい、そうした漫画であるのです。

それがお笑いである、美術である、音楽である、卓球である、ボウリングである、なんだっていいのですが、なにかに取り組んで、泣いて笑って苦しんでうろたえて、楽しんで、そして嬉しくて。そうした風景はかくも魅力的であるのかと、『チェルシー』を見ていて思います。きらきらとまぶしくて、目を離すなんてちょっとできない、かくも魅力的な光景に心奪われっぱなしです。

  • シバユウスケ『チェルシー』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2009年。
  • 以下続刊

引用

  • シバユウスケ『チェルシー』第1巻 (東京:芳文社,2009年),9頁。

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