2007年7月20日金曜日

ゆびさきミルクティー

   以前読んだ知人の日記。兄が、お前が出てるぞといってにやにやしながら雑誌を持ってきて、そうしたらそれが最悪。主人公が女装趣味の男で、その名乗る名前が私と一緒なんだ、本当に最悪 — 。みたいな内容で、ピンときましたね。主人公が女装趣味の男。もうこれはあれしかないよ、って思って『ゆびさきミルクティー』? そしたらドンピシャですよ。そう『ゆびさきミルクティー』は女装してセルフポートレートを撮るのがライフワーク(?)の高校生池田由紀を主人公とする漫画で、ジャンルとしてはラブコメになると思うんだけど、ただ単純にラブコメと言い切ってしまうにはちょっと異質な感触もある漫画であります。

異色というのは、主人公が異性装者だからというわけではなく、むしろそこはかと漂うエロというか、それもなんか屈折した陰鬱なエロが感じられるところだと思うのですが、例えば、1巻表紙がこれ:

でもって、2巻はこう:

正直、鬱屈した男の視線があると感じられて、まあそう感じるのはそうした要素を私も持ってますっていう告白に限りなくイコールであるんですが……、ともあれフェティッシュへの傾きが強すぎて、読んでてたまに辛くなります。けれど、そうした傾きがこの漫画の味を決定する最大の要因であることもまた確かだから、こうした要素に嫌悪を感じるという人には勧められない漫画であると思います。

この漫画の味 — 、幼なじみの森居左と同級生の黒川水面の間で揺れる由紀の心の動きが、あまりにもナイーブに描かれるというそこではないかと思っています。由紀はあくまでも男であるのだけれど、その男であるということに戸惑いを覚えているとでもいうように異性装に打ち込んでいって、自分でない自分を演じることで、埋められない願望であるや果たされない欲望、煮え切らない自分への嫌悪、自分も含めて変わりゆく人の思いなどもろもろ、扱いきれない感情を引き受けようとするかのよう。けれどそれでも引き受けるにはいたらず、またもや揺れるという堂々巡りのスパイラル。読んでいてすごくもどかしかったのだけれど、そのもどかしさにこの漫画のらしさは集約されていると思います。

この漫画、最初は単巻ものであったらしいですね。なので第1巻の末においては、そのもどかしさを払拭する方向に向かって、いつまでも女性を演じられるわけではないという現実に直面した由紀が、少し堂々巡りの輪から抜け出す方向に一歩を踏み出した。そういう感触があったのでした。すべてを説明しているわけじゃない、けれど由紀の心の方向性は感じ取れるといったような含みのある描写、結構いいなと思ったものでした。

この漫画はその後も巻を重ねます。一旦は確定したと思われた由紀の心は再び揺れはじめ、また由紀、左、水面以外のキャラクターもかかわりを持つようになってきて、錯綜しているな、少しごたついた印象があります。私がこの漫画をはじめて読んだのは、ちょうど4巻が出た頃のことで、その頃は楽しみに読んでいたのですが、その後巻を重ねる毎に違和感が膨らんでいって、違和感は主に性的表現の屈折しつつもダイレクトに現れるというそこに濃厚で、正直最近ではちと辛いなんて思うことも多かった。なんて思ってたら、今、いったいなにが起こってるのでしょう。3月に出るはずだった第8巻が発売延期。それどころか、なんか単行本がことごとく絶版? ええーっ、なんかまずい事件とかあったっけ?

最初の印象に、独特の面白さを感じて読み続けてきた漫画が、中途半端の状況で止まっちまうってことにでもなったら、ちょっとやり切れないなあ。なんて思うってことは、今でもまだ楽しみにしているってことなんだと思います。とにかく、優柔不断の由紀。彼の思惑の確定するその時を待っているのは確かなことだと思います。

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