2006年5月8日月曜日

広辞苑

 子供の頃、立ち読みの漫画雑誌で見覚えて帰った『広辞苑』という名前、とにかくそういう名前の分厚い辞書があるらしいと知って、私は親にねだりました。そして買ってもらったんですね。その頃はまだ第3版で、奥付見れば昭和58年12月の第1刷とあって、とすると私はまだ十歳ですね。ということは、広辞苑とつきあってもう二十年以上経つというわけで、思えば長いのかもなあ。人生の半分以上、辞書といえば広辞苑というスタンスでやってきて、とにかく小中高は広辞苑で全部済ませました。大学に入っては第4版のCD-ROM版に移り、院を出るときに第5版を買って今に至る。とにかく、常に傍らには広辞苑があった。だから、私の日本語のベースには、少なからず広辞苑ひいては岩波の影響があると思います。

広辞苑は説明するまでもないほどに知られた日本語の辞書で、ちょっとした権威といっていいくらいの扱いを受けていることに関しても知られているでしょう。そもそも私は、ただすごく分厚いと聞いて欲しがった子供でしたからそうした権威についてはまったくといっていいほど意識せず自然につきあっていたのですが、でも他の子供が小さな辞書を引いているときに私だけは大きな辞書を使って得意げだったのだから、やはり広辞苑は権威だったのかも知れません。ただそれが世間一般にいう意味とはかけ離れているとはいえども、子供心に得意だったのです。

広辞苑はなにが面白かったんでしょう。広辞苑以前には、子供向けの図鑑が好きで、とにかくぱらぱらとめくって絵を見て、説明を読んで、それだけで楽しかった。ところが広辞苑は、挿絵もあれどやはり文字ばかりで、じゃあそれを子供の頃の私は読んだのかといえば、読んだんですね。小さなころからの習い性で、適当に開いたページを軸にぺらぺらとページをめくり、興味のある項目を読んで、それだけでも楽しかった。思えば、知ることの喜びは図鑑に始まり広辞苑に育まれ、そして今もなお私の中にうずいています。

私が大学に上がって、その頃にはいろいろ大きな辞書が整備されていたころだから、岩波の広辞苑だけが権威ということはなくなって、むしろその歴史のあるということは、説明や用語の古くささ、硬直を問題にされるようになっていたように思います。その頃、私も含めて皆がよく使っていたのは講談社の『日本語大辞典』で、けど私はこれは図書館で利用するのが関の山で、ちょっと買うにはいたらなかった。そして、新語に弱いといわれた広辞苑がその弱点を克服すべく短期間に版を重ねて第5版となり、結局広辞苑に手を出したのだから、私はやっぱりこの辞書が好きなのでしょう。

今、私がメインに使っている辞書は広辞苑第4版で、それに新辞林を併用しています。やっぱりひとつの辞書だけではあやういことを私もわかってるんです。で、なぜ第4版なのかというと、CD-ROMの便利さゆえというやつです。じゃあ、冊子の第5版はどうしているかというと、短歌やなんかを詠むさいに使う。やっぱり手でもって引き、巻末の活用表、仮名遣いなども参考にし、それぞれの用途で使い分けているのです。

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