2006年1月21日土曜日

ラ・ファミリア・ロドリゲス - ペルー・アンデスの詩と郷愁

   今回は、記事タイトルと本文の関連性は薄いです。というのはですね、記事タイトルになっているアルバムをAmazonで探そうとしたらまったく見つからず、演奏者であるラ・ファミリア・ロドリゲスで検索したら出てきたもので代用してしまったからです。ラ・ファミリア・ロドリゲスというのはどういう人たちかといいますと、南米の民俗音楽、フォルクローレを演奏するグループなんですよね。昔、万博公園の民族博物館でフォルクローレ展がもよおされたときにこの人たちのステージがあって、大変素晴らしかった。その時に買ったアルバムが『ラ・ファミリア・ロドリゲス - ペルー・アンデスの詩と郷愁』なのですが、今から思えば、サインもらっておけばよかったなあ。娘さんが可愛くってね、ステージの終わった後にちょこっと会話したりなんぞもしたのですが、さっぱりとしていい人たちばかりで、音楽も人柄も本当に気持ちのいいよいグループだという印象が今なお残っています。

今、なぜファミリア・ロドリゲスを思い出したのかといいますと、クラシック音楽のレーベルであるNaxosが提供するPodcastでアリエル・ラミレスの『ミサ・クリオージャ』が紹介されていたからで、アリエル・ラミレスというのは南米はアルゼンチンの作曲家で、フォルクローレの語法でもって作曲をする人なんですが、この人がミサ曲を書いたわけです。それが『ミサ・クリオージャ』で、ポピュラーでもクラシックでも見つかるという、なかなかに素晴らしい脱境界的扱いを受けています。ええ、私これ皮肉やなんかでいってるんじゃなくて、本気で素晴らしいと思っているんですよ。クラシックとかポピュラーとかいう息苦しい区分は、まさに今生起して生き生きと響きをあげる音楽には必要ないんじゃないかといっているわけです。

音楽に生き生きとした生命力を感じたのは、ファミリア・ロドリゲスのステージを観たときも同様でした。美しい歌声が重なりあうことで生まれるハーモニーの広がり、多様なリズムが生み出す躍動感、楽器も声もすべてがひとつの音楽として交じり合い、自分のすぐ目前に音楽の実体があると感じられるんですね。目には見えません。手に触れることもできません。ですが、確かにあると感じられるんですよ。死んで乾物になったような音楽ではなく、ろう細工みたいな音楽でもなく、すぐそばで生きて動いている。暖かみもあれば、力強さもある。そんな音楽があるんです。

フォルクローレでは、ギターをはじめとする撥弦楽器が重要な役割を担っていまして、あのからりと乾いて、まるで光の粒がはねっかえるみたいな響きがすごく魅力的で、私もあんな風にギターを弾きたいなあと思うんですが、なかなかまねできるものではありません。それに、あのリズム。しっかりと地に足がついているのに軽くはねるリズム。そしてハーモニーの美しさ、声の美しさ。素晴らしいものがあります。で、これらは過去から綿々と積み上げられるように育まれてきた民謡であり、そして今もなおいきている音楽なんですよね。

ああもう、私は嫉妬します。嫉妬します。

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