2009年1月17日土曜日

誰が為に鐘は鳴る

 去年からずっと見たいと思ってきた映画、『誰が為に鐘は鳴る』のDVDを購入しました。買ったのは、いわゆる500円DVDというやつで、つまり著作権の保護期間が終わった作品というわけですね。古い映画です。制作年は1943年、アメリカの映画。原作はアーネスト・ヘミングウェイの大ヒットした小説らしいのですが、そちらはちょいとわかりません。機会があれば読んでみてもいいかもなんて思いますが、読みたくて買ったのにまだ読めてないものが、山になって積みあがっている現状をみると、よほどのことがないかぎり、読むことはないんじゃないかなと思います。けれど、映画は見たいと思っていた、その理由というのは、非常にばかばかしいものでありました。

去年の上半期のことになりますか。私は手帳を買っているのですが、それがこの映画を見たいと思ったきっかけでした。意味わからないですよね。もうちょっと説明しますと、私の買った手帳というのはいわゆるシステム手帳というやつでありまして、これが登場したのは第一次世界大戦がきっかけだったといいます。それまでは貴族など、上流階級が指揮官をやっていたのが、この戦争では平民あがりの士官が現われることになった。秘書を持たない彼らは膨大な情報を管理把握するために、システム手帳を必要とした、とかなんとかいうらしいんですね。

この情報を知ったときに、へー、そうなんだー、なんていって、適当に感心していたんですが、じゃあその将校たちは具体的にどのように手帳を使っていたんだろう。そんな疑問もわいたのでした。そうしたら、映画『誰が為に鐘は鳴る』にシステム手帳が活用される様子が描かれているっていうじゃありませんか。なんと、じゃあそいつを見てみたいものだ。

以上が、この映画を見たいと思った理由です。もう、本当にいいかげんというか、どうしようもない理由ですね。

けれど、確かに最初はシステム手帳の使われ方を見たいという動機であったとしても、見てみればそのストーリーに引き込まれて、舞台は内戦にあけくれるスペイン、フランコ率いる反乱軍に抵抗すべく義勇兵として戦いに身を投じたアメリカ人、ロバートが主人公。彼は、鉄橋爆破の任務を帯びて前線に赴いて、描かれるのはそれからの三日間に起こったことであります。ゲリラとともに暮らし、またゲリラに身を寄せていた若い娘、マリアと恋に落ちる。その恋は、多少唐突とも感じないではなかったけれど、しかし恋というのはそもそもそうした唐突なものであるのでしょう。だからそこは目をつぶり、三日後に迫る作戦に向けて準備をする最中の出来事を見ていけば、仲間割れや妨害めいた行動に対処し、作戦に必要な情報を集め、決行から逃走までの段取りを整える。その過程であきらかになるヒロインやゲリラの頭領たちの胸中、過去が語られ、先へ進む意思が確認された後に、物語はクライマックスへと向かうのですが、それは非常な痛ましさをともなうものでありました。

これが現在の映画ではないというのは、あのラスト、ハッピーエンドといえばそういってもいいかも知れない、けれど決してハッピーエンドではないという、そうしたところからも感じとれるように思います。以前見た『西部戦線異状なし』もそうした終わりかたをしていて、これら昔の戦争映画がこうした悲劇を描こうとするのは、戦争の持つ非人道性を伝えたかったから、なのかも知れませんね。次々と人が死んでいく。いいやつも悪いやつも死んでいって、そしてその人が死ぬ、人を殺すということが、強烈な忌避感をもって語られる。それは、当時の戦争に対して人々が感じていた気分であったのかも知れません。

とはいえ、この映画の作られたのは1943年。第二次世界大戦のさなかであります。主人公はアメリカ人、敵はドイツ、イタリアといったファシズム国家に支援されるフランコ陣営、ここに少々のプロパガンダ的な匂いも感じとったりしまして、だってロバートは自由を守るという思想に殉ずる、まさにヒーローであるのですから。自由そして愛を守るために戦い、そして散っていくというヒロイズム。それは痛ましくもあったけれど、一種憧れのシチュエーションともいえる、そんな側面もあったりします。だけど、多くの人はこれをゲーリー・クーパー、イングリッド・バーグマンという美男美女によるメロドラマとして見るのでしょう。ええ、そういう見方でいいのだと思います。特に今のような時代にあっては、ことさらそうだと思います。

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