2009年1月15日木曜日

手紙

 書店にいって、谷川史子の新刊を見付けて、そうなればもう買わないではいられない。私は、谷川史子のファンなんですよ。学生のころ、別の漫画目当てに買っていた雑誌にこの人の漫画が載っていて、それがどうにも気になりましてね、『くじら日和』でしたっけね、単行本が出れば買いまして、さらには既刊にも手を出して、もう好きで好きでしようがありませんでした。思えば、あのころ読んでいた少女向けの漫画、今も継続的に読んでいる人といえば、もう谷川史子くらいしか残っていないんじゃないかな。他の作家は、だんだんに疎遠になったりして、それは私の年齢がいって、どうにも馴染まなくなったってことなのだと思います。ですが、谷川史子だけはちょっと違っているようで、今も変わらず好きであるようです。新刊が出れば買う、それも、ただ買うだけではなくて、ああお元気に活躍していらっしゃるんだと、まるで近況お伺いするような気持ちで買う。そうした気持ちにさせてくれる作家は、確かにほかにもありますけれど、でも谷川史子に関してはそうした気持ちが非常に強く、それはとても不思議、自分自身からがとても不思議であるのです。

その新刊は、タイトルが『手紙』。ちょっとした誤りから読んでしまった他人宛の手紙。そして返信。私は最初この導入に、うわっ、さいてー、と感想をもらしてしまって、いや、だって、そうでしょう。なりすましですやんか。手紙というものは、相手に自分の気持ちを伝える大切な手段。それをインターセプトしたのみならず、よりによって返信してしまう。ひでえヒロインだな。しかも、その誤ちに気付くまでが長い。それはもう、無神経の域に達していると思ったほどでした。

しかし、そこから展開する物語の見事なこと。私は、この時点で、一点をのぞき、この話の仕掛けがわかってしまったんだけど、けれどそんなこと気にさせないくらいの大きな感情のうねりがあって、私の心はすっかりもっていかれてしまったほどです。しかも、これは長編ではない。短編なんです。長くない、それに、内容にしても特に新規という感じもしない、オーソドックスで、よくあるといえばそんな感じの話であるというのに、あらがえなかった。いや、むしろ、自ら身をゆだねたのかも知れません。とんとんとん、と進んでいくテンポのよさには、持ち前の陽気さ、明るさが添えられて心地良く、そしてラストまわりの揺り返し。涙が止まりませんでした。大げさなことはいっていない。それはとてもありきたりなこと。しかし、それはきっと誰もが感じることであるのでしょう。身に迫る実感が、つらくもあり、切なくもあり、この少女という季節を抜けて大人になりつつある頃の思い、それはとうに青年でさえなくなっている私にも容易に重なって、重み、確かな手応えを残したのでした。

収録の三編は、ハッピーエンドもあり、ちょっと悲しい終わり方をしたものもあり、けれどそのどれもに、人の誰かを思いやる、そうした気持ちがあふれていました。かけがえのない誰かのことを思う。しかし、人というものは哀しいもので、そのかけがえのないということを時に忘れてしまうんですね。あたりまえと勘違いしてしまう。そうなれば、思いは軽んじられて、ないがしろに、粗雑なものにされてしまう。そして、いつか後悔する日がくるのです。その後悔とは、きっとたまらなく深いものになるはずで、というのは、私もまた、そうした後悔に苦しんだことがあるからなのですね。

かけがえのない誰かが身のそばにあるときには、精一杯心を砕かないといけないんだ。そうしたことが語られた漫画であったと思います。見せ方はさまざま、仕掛けもいろいろでありましたが、語られることの真ん中には誰かを思うということがしっかりと息衝いていて、時に暖かく、時に切ないのでした。わずらわしいと思う気持ちが、心を遠ざけることがある。自信のなさや迷い、怖れが、人を思う心を弱らせて、ひとりよがりに陥ってしまう。けれど、谷川史子はそこに健やかさを一滴落してくれる。それが、あたりまえのことをあたりまえにできない、そうした弱さをはらってくれるように感じられるのです。朝の光が夜をはらうように、昨日の悲しみは少しいやされ、とげとげしかった気持ちもやわらげられる。そんな感覚が気持ちのよい三編でした。

  • 谷川史子『手紙』(りぼんマスコットコミックス クッキー) 東京:集英社,2009年。

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