2008年3月14日金曜日

家族ゲーム

 今日は世間ではホワイトデーというものらしいので、恋愛に関する漫画を取り上げてみたいと思います。で、『家族ゲーム』。どっからどう見てもゲーム大好き家族の漫画だったはずが、ふと気がつくとすっかり恋愛漫画になってしまっていたという変わり種です。お父さんもお母さんも二人の娘も皆ゲームが好きで、そのそれぞれにゲーム好きの友人があって、また友人の周囲にも人間関係が広がって、しかしただ漫然と広がるのではなく思い掛けないとこれで繋がっていたりする。そうした人間関係の結構入り組んで絡み合っているところが面白く、またそのあちこちに恋愛の展開、芽生えが用意されているという、不思議に豪華な漫画となっていて、当初の面白さとはずいぶん変わってしまったけれど、これはこれで面白いなあ、そんなことを思っています。

思い掛けない繋がり。同じ人間を軸に展開される恋愛、いわゆる三角関係の、本来なら取り合い、対立する位置にある二人が、それと知らないうちに知り合い、友人になっているどころか、その恋愛について相談し、はげましたり後押ししたりしているというおかしさ。そしてこの舞台というのがMMORPGのログイン先であるのですね。お互い相手の素性も知らないままに、出会い、そして仲よくなったわけだけれど、たまたま出会った遠くの誰かと思っているのが、実はすごく近い位置にいるという仕掛け、私はこういうのにとことん弱いんですね。見えないところで繋がっているという感覚。その隠された部分が、実は、と明かされる時のことを思うと、わくわくして仕方がない。仮想世界における演じられた人格と、現実の世界における人格がまさしく出会い、伏せられていたバックグラウンドは一気に立ち上がって、これまで気付かないでいた繋がりとその意味が理解されるのです。

これって、私の好きだという、秘密のヒーローものに似た構造なのかも知れません。みんな知ってる、けどその正体は知らない。そして知らないうちに、知り合い、つきあいを深めている。さあ、これがばれたらどうなる! どうなるんでしょうね。『家族ゲーム』のあの人とあの人の場合、明かされる時にはありうる問題はすべて綺麗に払拭されたあとのような気がします。だから、心から祝福できる、そんな気持ちをもって新たな関係にステップアップできる、そんな予感がするから、なおさらわくわくとした気持ちになるんだと思うんですね。

といった具合に、いくつもある恋愛の芽生えが、だんだんと育っていって、あちこちで花を咲かせ、実を結びそうになっているのです。お互いに意識しあいながら、それをはっきりかたちにできないカップルがあれば、思いもあらば先に踏み出せばいいところを、怖れに打ち勝てないという人もあって、その逃避っぷりもすがすがしい。いうならばギャルゲ脳の恐怖。けど、恋愛っていうのは難しいねえ。踏み出したいが、踏み出すことによって今の関係が壊れてしまうかも知れない。そんな時に人は、自分の感情を曖昧に誤魔化してみたり、そしてより傷つかないほうに逃避してみたり。でも、その逃避もあれっくらい堂に入れば、それはそれでいいような気もする。とはいえ、痛々しくて物悲しい彼にも、ちゃんとルートを用意している作者は、なんだか優しい人だなあ。そんな風に思ったりして。いや、この人は切なくとも仕合せな関係が好きなのかも知れないなあと、そんな風に感じることが多いです。そして私、そういう雰囲気、嫌いじゃないです。つうか、好き。

恋愛ものを読む楽しみは、恋愛を追体験するという気持ちの楽しみに加え、一部状況が伏せられたなかで思いに悩み迷う彼らを、鳥瞰するような視点で眺めることができるという、そういう優越性、あるいは見守る楽しみもあるように思われて、『家族ゲーム』にはもちろん気持ちの楽しみも豊かにあふれているのだけれども、より一層に見守ることの面白さが感じられます。そしてその思いの変化し整理されるまでのプロセスもお見通しという特権を得るからこそ、気持ちの喜びも深まるのかもなあ。人と人のつながり、気持ちの変遷が丁寧に描かれる、それがふたつの楽しみをより確かにするものだから、この漫画を読んでいるあいだ、私は恋に思い、悩み迷う彼ら彼女らを見守り寄り添う、そんな気分になるのでしょう。

  • 鈴城芹『家族ゲーム』(電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2006年。
  • 鈴城芹『家族ゲーム』第2巻 (電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2007年。
  • 鈴城芹『家族ゲーム』第3巻 (電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2008年。
  • 以下続刊

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