『看板娘はさしおさえ』の鈴城芹が『電撃PlayStation』にて四コマを描いているというのを聞いて、うわあ、もう電プレは買ってないよ。過去の事例をかんがみると、電プレの漫画は単行本にはならないみたいから、きっとこれを読むことはかなわないんだろうなあ、なんて思っていたんです。そうしたら、書店にて発見! わお、こいつは買わなくちゃ、一も二もなく買ってきて、買ったのは例の地上三十階書店だったのですが、残っていたのはたったの一冊。一冊!? あの規模の書店で? その残りかたの異常さから、なにがなんでも買っておかないとという思いで確保したのですが、確かにその後よそでは一度もこの本にお目にかかっていません。買っておいてよかったなと本当に思います。
過去に何度もいっていますが、私は作家につくタイプのマニアです。ひとつの漫画が面白いと思ったら、次々と既刊から新刊から、同じ作家のものを買ってかって買いまくるタイプの漫画読みで、だからすなわち私は鈴城芹にそれだけはまっているのだと思っていただいていいと思います。それだけ『看板娘はさしおさえ』が面白かったんです。私の好きなタイプの漫画の条件にもばっちり該当していて、女性が生き生きとしていて、男性に対して容赦がないというタイプの漫画。そうなんですね。『家族ゲーム』もそうしたくくりで捉えられる漫画だと思います。女の子中心で、たまに出てくる男性はというと、ちょっと影が薄く、結構ひどい仕打ちを受けている。一番ひどい仕打ちを受けているのはお父さんで、この辺も『看板娘はさしおさえ』に同じであると思います。
けど、『さしおさえ』とはやっぱり違う味わいがあるのがいいですね。『さしおさえ』は質屋縛りで、マニア向けネタを絡めながらも一般的ネタを軸に展開していますが、たいして『家族ゲーム』は掲載誌がゲーム専門誌で、すなわちゲーム縛り。ゲームに関するネタが軸になって、実に突っ込んだ面白さがあると思います。プレイ時に暴れてしまう人。遊びきれないくらいゲームを買ってしまったり、迷宮に潜って気付いたら新聞屋のバイクの音が聞こえてきたりだとか、そうした人ならきっと面白い。現に新聞屋の話は私のことですが、読んでて笑える人ほど駄目人間だと思う。きっと駄目人間であればあるほどに面白いんじゃないかと思います。
ゲームが暇つぶしとかじゃないんですよね、こういう人って。あくまでゲームは主目的で、面白さを知ってる、楽しみかたを知ってるから、ずぶずぶとはまってしまって、しかも悪いことに引き際を間違ってるから、興味のあるのは全部押さえてしまう。積みゲーとかいいますね。うちにもありますよ。開封さえしてないゲーム、開封したけど一度もプレイしたことのないゲーム、オープニングのムービーだけ見たっていうのもあるなあ。いや、けど、遊んだゲームの方が断然多いのですよ。それに、遊びはじめたらよほど面白くない限りクリアしますから。それで面白ければ、クリア後も何度も繰り返し遊びますから。
こういう、ずぶずぶだけど、ゲームのコアな楽しみかたを経験したことのあるという人は、この漫画に出てくる人の感覚を体感的に追想することができると思うから、きっと面白いと思います。ゲームで駄目になってる人を、遠巻きに、珍獣見るみたいにじゃなくて、そうそう、それ私もやっちゃうよー、みたいな感じで、苦笑しながら、共感しながら、またゲームもやりたいなあ(今もやってますが)っていう気持ちにもなって、嬉しかったり懐かしかったり、そんな感じの面白さにちょっと参ってしまっています。もっと続きを読みたいです。
蛇足
中学生おかん……、じゃなくて、真言、ってやっぱり中学生じゃないか。
蛇足に余談だけど、父娘で同じ話題で盛り上がれるって素敵なことだと思います。たとえそれがBLであっても……、というわけで、もし私に娘があったら、ともにBLで盛り上がれるようがんばりたいと思います。
- 鈴城芹『家族ゲーム』(電撃コミックス) 東京:メディアワークス,2006年。
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