2006年11月12日日曜日

暴れん坊本屋さん

   暴れん坊本屋さん』の第3巻がでています。といっても『ふたりめの事情』と一緒に出たのですから、今ごろそんなこといっても今更感が漂うってなものですが — 。ええと、実をいいますと、本日地上三十階の書店で『暴れん坊本屋さん』の作者、久世番子さんのサイン会があったのでした。ええ、私ももちろんいったのですよ。並びました。時間にして二時間。待ってる間、なにか気の利いたことをいおうと思っていろいろ考えていたんですが、なにしろ私は不調法ものときておりますから、気の利いたことどころか真っ当な挨拶さえできたかどうか自信がない……。ああ、なんて気の小さいことでしょう。でもいいんだ、サインもらえて嬉しかったから……。

『暴れん坊本屋さん』3巻も出て、サイン会もあって、いやあますます大繁盛、いよいよこれからが楽しみだ、というような盛り上がりを見せている状況に見えますが、実をいいますと『暴れん坊本屋さん』は3巻で完結です。このことを知ったときは、ちょっと寂しかった。けど、こういう実体験をベースにしたものというのは、長く続くほど内容に無理が出てくるところがありますから、3巻で区切りをつけたというのは、よい見極めだったのかも知れません。これまで私もいろいろな本を読んで、もちろんこういう実録系のものも読んで、後になるほどネタ出しに無理しているなという感じが濃厚になって、なんだかいたたまれない感じになったりします。最初は自然だったテンションも、最後の方はもう空元気が息切れ起こしてるみたいな感じだったりして、それが好きな本なら好きであった分だけ余計につらい。『暴れん坊本屋さん』は乗りのいい頃合いに、人気をつかんだまま終わることができて、本当にいい引き際だったと思います。

『暴れん坊本屋さん』は新聞や雑誌でも紹介されて、実際話題書といったような感じがありましたが、これだけ話題になったのは、本好きに訴える要素が多かったからだろうと思っています。本好きなら、なんとなくでも近しく感じている本屋さんという職業の花の部分とその裏側に広がる影の部分が面白おかしく表現されていて、へーっ、そうなんだー、って思えるところがきっとよかったのでしょう。でも、多分この本は本の愛好家よりも書店員にこそ受けていたんだろうと思います。昔、私の職場の同僚に書店員だったのがいたのですが、その人の語ってくれる本屋の苦労話裏話が面白かったりショックだったりで、でも面白かった。で、私とその元書店員がこの漫画を読んだとしたらどうでしょう。この二人が受ける印象は大きく違ってくるはずです。私は親しみを持ちながらも詳しくは知らない世界をかいま見るのが関の山、たいして元書店員は、あんなこともあった、私の場合はこうだったと、共感を持ちながら、あたかも対話するようにして読めるはずで、その共感の分だけ私よりも深く面白さを感じられることでしょう。

実際、この漫画の愛読者には本に携わる人が多かったようです。第3巻の一番最後、増補版に、本の愛好者だけでなく書店員や図書館員からも応援の声があったらしいことをうかがわせるコマがあります。そういえば私も図書館員でした(私が排架した棚は、本が抜けないといってすこぶる悪評だったさ! だって狭いんだもん。ぎゅうぎゅうに差さないと本が出せないんだってば)。だからそれゆえに、この本を読んでいると昔のことを思い出したりして、懐かしかったり、思い出し怒りしてみたり、でも書店員も図書館員も、結構ハードで報われない仕事にも関わらずその職場に愛着を感じてしまうのは、やはりそれだけ本が好きだということなんだと思います。だから、すべての本に携わる人、作家、出版、印刷、取次、書店、図書館、そして読者はみな本を仲立ちにして繋がる、戦友みたいなもんなのかもなあ(時には角突き合わせたりもするけどね)。だから、それゆえに共感しあい、ともに面白がることのできるというわけで、そうした体験の結晶のひとつがこの『暴れん坊本屋さん』だとしたら、それ自体がすごく素敵なことなんじゃないかという気もするのです。

蛇足

私は新世界の本屋となる!!というフレーズを見たときに、通天間近くの書店!? と思ったのは多分私だけではないと思います。

引用

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