以前、漢文だけは読めないといっていた『漱石全集』。じゃあ、残りは読めるというのか? 総索引なんかあんた読むのか? と問われると正直ちょっと微妙でしょうね。だって、私は研究者じゃありません。特定の語句をめぐって、全集の中をさまよおうなんてことは、よっぽどのことがない限りできるものじゃありませんからね。でも、索引というのはすごいものです。探しているものを必要なときに効率よく見つけるために用意されるもの、それが索引です。よい索引が整備されていれば、研究にも読み解きにも役立つ、これは本当です。これに関しては間違いありません。
以前、私は論文で漱石を引用したことがあるんですよ。論文というのは、グレン・グールドというカナダ人ピアニストについてのものだったのですが、この人が漱石の『草枕』のファンでして、だから彼の考えを読み解く助けとして『草枕』の読み解きみたいなこともしたのでした。
論文ではですね、いいかげんなことは書けないわけです。それこそ推理小説で犯人追いつめるようなものでしてね、どこそこに証拠がある、誰それがそう証言していると、逐一きっちり証拠証言を集めて揃えて突きつける必要があるんです。論文の場合、主にその証拠というのは他の論文や書籍に求めるわけで、ほら、このBlogでもたまにやってるみたいに、引用の出典を作者、書名、出版社、出版年、そしてページを記すという、そういう必要があるんです。だから、私もやりましたよ。証拠探しは現場百回ではありませんが、関連する資料を何度でも読みます。それこそ覚えるくらい読みます。さっきの例でいえば、グールド関連の本は当時出てたものほぼすべて読んだと思います。それで、頭の中にインデックスを作るんです。どの本のどのへんにどういうことが書いてあるということを把握するんです。でも、やっぱり限界ありますから、私はびりびりにちぎった紙を附箋代わりにして、このページ重要と思ったところにはさんでいって、だからもう資料は紙だらけ。でも、これでも書き出してから、あああのエピソードどの本だったっけー、っていうことは何度もあって、運が良ければ見つかりますが、運が悪いとなんべん探しても見つからない。焦って探すのも悪いんでしょうけど、とにかく見つからない。この本かこの本のどっちかなんだよ、このへんのページにありそうなんだよ、なんて思うんですが、なのに見つからない。だから泣く泣く削ったものもあります。だって、証拠を提出できない。確かにそのエピソードは読んだのです。どこかにあるのです。けど、きっちり引用ないし参照元を示さないことには、それはないのと同じなのです。
もしグールドに関する索引があったならば、ずいぶん違ったのかも知れないなんて思いますよ。でも、今はもう昔の話。懐かしく思い出すエピソードになっています。
索引の威力をちょっと示してみましょうか。例えば、こないだ『草枕』について話したときに持ち出した非人情という用語ですが、果たしてこれってどこで扱われてるのかなー、なんて思ったときは索引です。ええと、3巻の11, 12, 15, 16, 34, 111, 112, 113, 114, 154ページに出てきますね。それと14巻の索引、22巻の558, 566, 569, 27巻の131ページにも出てますね。これ、第3巻は『草枕』の収録巻だから出てくるのも当然ですね。14巻は文学論です。22巻は書簡、27巻は別冊です(短評雑感あたりかな?)。こんな風にすると、ひとつの用語をめぐって漱石がどう考えたのかをめぐる足がかりが見えてきそうな感じでしょう? で、それを読んで理解を深める。だから索引は一読者にだって意味のないものではないのです。
実はこういう索引は今やインターネットでも利用できます。例えば青空文庫。Googleで青空文庫を対象に非人情で検索してみるといいのです。すると19件出てきます。夏目漱石に限ってみると『草枕』と『坑夫』に出てくる。でも、『坑夫』のは非人情ではなくて理非人情だからちょっと違いますね。Googleが表示する検索語周辺の文脈をちょいと見てみると宮本百合子の『婦人と文学』が漱石の非人情に言及していることがわかります。宮本百合子はというと『婦人と文学』以外でも非人情を使っていて、それは『パァル・バックの作風その他』、『沈丁花』、『写真に添えて』。後のふたつはあんまり漱石に関係なさそうだけど、『パァル・バックの作風その他』はどうも関係しているっぽい。どれ、読んでみようか — 、なんてことにもなります。
こんな風に、よく整備された索引はさまざまな情報を繋ぎ合わせてくれます。これまで誰にも気付かれなかった関係が、索引によってあらわにされます。万葉集の研究でコンピュータを導入して解析している人がいるのだそうですが、これまで千年以上も気付かれずにあった関係性が見つけ出されたと、そういう例を聞いたことがあります(多分、「古典和歌からの知識発見」に紹介されてる事例だと思います。PDFです)。この万葉集の研究は、単純な索引作成では到達できないものではありますが、それでも索引が使えるようになるということだけでも、大きな効果を得られるのではないかと私は期待しています。
具体的には、Google Book Searchあたりに期待しています(例えば、jabberwockという用語を含む本を調べてみると即座に1450ページという結果が返ってくるのですよ! 信じられない!)。そしてほかならぬ『青空文庫』に期待しています。資料を電子化して、インターネット上に置くだけでも大きなメリットが得られます。検索容易性に加え索引を用いた全文検索、本当に素晴らしいと思います。だから、私は、より多くの作品が電子化されて、広く利用できるようになればいいと思っています。もしすべての本を横断的に検索することができるようになれば、スーパーな読書体験の世界が開けることが単純に想像できて、なんだかわくわくしてくるのです。
- 夏目漱石『漱石全集』第28巻 東京:岩波書店,1999年。
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