昨日もちょっと触れました青空文庫。ご存じのないかたもいらっしゃるかも知れませんので、改めてもう一度説明したいと思います。青空文庫というのはインターネット上にある本の集積所です。いろんな本が集まっていて、それは主に古典、私の好きな夏目漱石や宮澤賢治などを読むことができます。でも、なんでこういうことが可能なんでしょう。それは、それら収録されている作品については、著作権が消滅しているからです。現行の著作権法では、著者(著作権者)の死んで五十年がたつと、著作権が消滅します。著作権の切れた作品は共有著作物(パブリックドメイン)となって、私たちが自由に利用することのできる共有財産となるのです。つまり、青空文庫には、自由に利用できるようになったパブリックドメインの著作物が収録されているというわけです。
ですが、ちょっと考えればわかることですが、著作権が切れたとしても、それで自動的に本が電子データになったりはしません。でも青空文庫にはテキストデータ(やXHTML文書)が収録されています。これ、一体どういう仕組みになっているのだろう。そもそも青空文庫ってどういう組織なんだ? っていう疑問もわいてくるかも知れません。そもそも青空文庫の本は自由に利用ができる、お金を取らないわけですから、一体どうやって運営されているんだろうなんて思います。
『インターネット図書館 青空文庫』は、そうした疑問に答えてくれる一冊であると思います。
この本を読めば、いや読まずとも、ちょっと青空文庫に興味を持って、サイトを深く読んでみれば、青空文庫っていうのがボランティアベースで運営されている活動であるということがわかると思います。呼びかけ人があって、呼びかけに呼応してテキストの入力や校正をおこなう人がいて、そうした人たちの地道な活動の積み重ねが、今の五千冊を超える蔵書として結実しています。私はこの活動について知ったときに、これはまさしく中世の図書館と同じなのだと思いました。本が高価で特権階級の持ち物だった時代、図書館は知の集積所であると同時にステータスでありました。当時知の中枢であった教会は図書館を構えて、多くの書写僧たちにより書き写された本が図書館を充実させ、知の発展、文化の発展に寄与してきました。けど、これら中世の図書館には青空文庫とは決定的に違う点があります。それはなにかというと、それら図書館は閉鎖されていたということです。先ほどもいいましたが、本は特権階級の専有品でした。知が独占され、外部に公開されるということはありませんでした。貸し出しなんてもってのほか。自由に読みたい本を読めるという、今の私たちが想像する図書館とは根本から違っていたのです。
青空文庫は万人に開かれています。ボランティア諸氏によって打ち込まれたテキストは厳密なチェックを経て公開され、そしてその仕事は独占されることなく、自由に使ってもよいのです。個人的な読書の楽しみに使う人がいます。読み上げや点字出版の元データにもなります。研究や用例参照に使う人もいます。そして、これを印刷製本して販売する人もいます。おそらくもともとは本当にささやかな試みであったろう青空文庫の活動は、その輪を広げながら、多くの人と関わりを持ちながら、一言では言い表せないほどの大きな価値に育っています。そしてこれからもより広がりを見せることでしょう。この仕事は、決して派手ではありませんが、文化への寄与という点において、無視できないものであると思います。それこそ、中世の教会図書館が古代ギリシャ・ローマの古本を写本として今に伝えたのと同じくらいに、といったらあんまりに大風呂敷を広げすぎかも知れませんが、ですが私は、そうした営為に匹敵するほどの可能性を秘めた活動であると思っています。
私は、青空文庫の本が出たと知って、たまらず買ってしまいました。そのあらましや著作権の保護期間延長問題についてはそこそこ知っていたものの、なにより青空工作員としてこの活動に参加している人たちの思いを知りたくてしょうがなかったんです。買って、読んで、そして感動しました。いや、私は最初から予想していたのです。この人たちを突き動かすものがなにであるか、この人たちを駆り立てたものはなにであるのか。私はただ確かめたかったのです。
思ったとおりでした。いや、思った以上でした。私はこの本を読めば、なんだかどうしようもなく泣けてきて、なんせ苦労もあったろう、いろいろ問題も残っている、けれど私はそうしたものを抱えながらも本に、テクストに向かい合おうとしているこの人たちの姿勢に感動します。
- 野口英司『インターネット図書館 青空文庫』東京:はる書房,2005年。
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