2006年11月27日月曜日

ダーティペア(OVAシリーズ)

  連休を創出して、その持てる時間の大半を『ダーティペア』にて費やしたというのは、この数日の記事を見ていただければおわかりのことであろうかと思います。もちろんアニメだけ見ていたというようなことはなく、他の日課もそれなりにこなしてはいたのですが、でもさすがに体はなまったようです。今日、久々に仕事に出たら、つらいつらい。朝、通勤の車内ですでに疲労が色濃く、仕事はやるにはやりますが、なにぶんふらふら。なので、疲れてしまっているので、今日も『ダーティペア』で書いてしまおうと思います。ただ、今日はOVAシリーズについて。ほら、昨日いっていた、正直これはあんまりだと思ったOVAシリーズについてです。

でも、OVAシリーズについてがっかりだみたいにいっていますが、全部の話が悪いと思っているわけではないのです。OVA第1話なんかは、ちょっとTVシリーズではなかったような雰囲気を出して、この先どうなるんだろうとわくわくさせる出来であったのは確かです。往年の名画007シリーズを彷彿させるような新兵器を開発する博士があって、これまでほとんど描かれてこなかったWWWA内部での人間関係みたいなものも描かれそうな雰囲気もあって(これは第2話が顕著ですね)、ほー、OVAシリーズはこういう和気藹藹としたアットホーム感でいくのかなー、こういうのも面白そうだなあなんて思ったんです。それになにより、第1話の敵地への降下シーンなんかは、素直に面白いと思えたものです。こういう、なんかちょっとしたアイデアというのが毎回出るんだったら楽しそうだなあ、そんな風に思ったんです。

でもさあ、後がいけないよ。正直、ダーティペアがプロレスやってる絵を出したかっただけじゃないのとか、最近の親子関係うんぬんについてコメントするような台詞しゃべらせたかっただけじゃないのとか、そういう着想だけみたいな話が気になったんです。

着想というのは、創作においては種子にあたるような大切な要素であると私は思っています。着想があり、そしてその着想をかたちにする段階で、幹ができ、枝葉が育ち、それらあってこそ花も実もつけようというものです。種子から草木を大きく健やかに育てる、よりよく作品を作るということは、そういう園芸に似た手間や努力が必要であると思っています。

作品がよい花、実をつけるには、種子だけでは不充分です。それがどんなによい種であったとしても、痩せた土地にそのままに放置されているようでは枯死してしまいかねません。よい土壌に植え、手をかけて育てるからこそよい作品になるんじゃないのかね。こんな、今更私がいわなくても誰もが知っているようなことを、私は今更ながらに思ったのです。あまりに荒っぽい筋立て、横着としかいいようのない話の運びに、私はげんなりと退屈して、正直早送りして二倍速三倍速で見たいと思ったのは、『ダーティペア』では初めてでした。

OVAシリーズで気になったのはもう一点あって、それは作り手のバックグラウンドがすでに違っているんじゃないかということでした。TVシリーズなんかは、SFやミステリーを知ったスタッフがその素養でもって作ったという感じがするのですが、OVAシリーズはというとそうした素地が感じられず、いうならば既存のアニメの枠の中で作ったと、そんな風なのです。過去の作り手が試行錯誤の中で作り上げてきた蓄積から生まれた語法やお約束を、そのまんま導入しているみたいっていったら言い過ぎかな? 自分の言葉で語っていない。人の言葉をどこかから持ってきて無理矢理に継いでみました、どっかで見た名シーンを切り取ってきて貼り付けてみましたというような違和感が感じられて、なんにも伝わってこないという話が多かったように思います。だから見てて全然面白くない。私は見ていてすごく悲しくなって、見なきゃよかったと後悔した — 。

これがBOXの一部でよかったと思っています。もし単品で、一枚二枚とDVDを買っていった最後にこの感想にたどり着いたのだとすると、それはより以上に怨嗟に満ちたものとなったことでしょう。重ねていいます。すべてが悪いわけではなかった。ですが、悪すぎる話が良い点を塗りつぶしてなおあまりあるほどにひどかったと、私はそういっています。

小説

引用

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