『女クラのおきて』がはじめてラブリーに掲載されたときの印象は最悪で、なんじゃこの勢いばっかりの設定漫画は、だなんて思っていたのですが、気付いたら好きになっていたというのですから、人間の好みというものはいいかげんなものです
。そうなんですね。私ははじめ、『女クラのおきて』が嫌いでした。なんか雑な漫画だなあと思っていて、いずれ消えるさなんて意地悪なことさえ考えていたのですが、どこがどう人気があったというのか連載は続いて、そしていつしか私はこの漫画を読むのを楽しみにするようになっていたのです。もう完敗といっていいと思う。その、私にとって師走冬子という漫画家を好きにならしめるきっかけとなった『女クラのおきて』の最終巻が本日発売されました。そうですか。終わってしまったのですね。振り返ってみれば連載の期間こそは長かったですが、なんだかあっという間だったようにも思えます。
この漫画、はたして時間の流れはどうなっていたものか。これだけ長い期間連載されて、季節恒例のイベントも繰り返されて、けれど彼女らヒロインが卒業するとか、この漫画が終わるとか、そんなことは一度も考えたことがありませんでした。味わいを違えながら、面白さの質も変化させながら、その勢いが衰えているようにはまったく感じられず、なのに終わった。人気のあるうちに終わった。いい時機だったのかも知れませんね。新キャラは何人も出ましたが、彼らが漫画の面白さを損なったことはなく、最終巻にも新キャラがひとり。いいキャラクターでした。話に広がりが出たと思います。そしてその広がりを持続させたまま終結。なんだかしんみりしてしまいました。またそれが、しんみりさせるようないい終わりかただったと思うんです。
この人の漫画は、基本的に非常識な人たちが繰り広げる騒動によって引っ張られるタイプに属します。それは特に『女クラ』に顕著で、元気者、マッドサイエンティスト、金持ち高飛車のヒロイン三人が、クラス担任を振り回して、ああもう散々だという感じで終わるというのが基本形としてあったのですが、だんだんとどたばた以外の要素も増えてきて、気持ちがあたたかになるというか、ちょっとなんかいい話聞いちゃったんだというか、そういう気分になれるようなことも珍しくなくなってきて、だからあのラストは集大成だったのかも知れませんね。これまでの時間、変わりながら、膨らみながら、積み上げられてきたものがいざ閉じられようとしたときに、ああいうかたちを欲したのかも知れません。変わりつつ、変わらないもの。変わらずに変わっていくこと。もしこれが、これまでの数年を経ずして出会ったラストであればきっと私はなんとも思わずに流したことだろうと思うのです。けれど、これまでの時間がこのラストをただ見過ごしにすることを許さなかった。私の胸中に生まれた感傷は、彼女らの日常が決してもう物語られることがないだろうということを知っているからで、そして同時に彼女らの日常は変化をともにこれからも続いてゆくだろうということを思ったからなのだろうと思います。
ところで、変わったといえば螢のブラコン設定っていつごろ出てきたんだろう。初期には確かになかったと思うんですが……。なお、私の一番好きだったのはほかならぬ螢です。
- 師走冬子『女クラのおきて』第1巻(まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2004年。
- 師走冬子『女クラのおきて』第2巻(まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2004年。
- 師走冬子『女クラのおきて』第3巻(まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2005年。
- 師走冬子『女クラのおきて』第4巻(まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2006年。
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