2005年1月23日日曜日

春琴抄

 女性と男性の関係において、私は、ああ、黒子のようでありたいと思うのです。影に日向に付き従いて、荷あらば担い、座らんとすればそっと腰掛けを持ち、靴上着の類いの脱ぎ着にも手を貸して、用あるごとにかいがいしく働きたい。それどころか、それ以上を求めているところまであったりして、実際の話、将来大金持ちになる予定の私の美しい友人に、どうぞその暁には下僕として雇って呉れるよう約束していたりするのですね。いやまあ、まともな会話ではありませんな。お前変態かといわれれば、むう、あるいはそうかも知れんと答えざるを得ません。わかってるねん、わかってるねんで?

(画像は教育出版版『春琴抄・蘆刈』)

とまあ、自分が駄目な人間と諒解している私にとって、谷崎の『春琴抄』は実に楽しく読むことができたのでした。『春琴抄』とは、三味線のお師匠春琴に、あたかも下僕のように仕える一番弟子佐助との、苛烈にして美しい愛の物語なのですが、この春琴の佐助への仕打ちがすさまじい。罵倒程度のことは茶飯事で、打つ殴ることもしばしば。しかしこれもすべて、春琴の佐助に対する深い信頼の情あってのことで、結局春琴は佐助のことを誰よりも身近と感じて、大切に思っていたことは疑うべくもないことでしょう。

だもんだから、私には佐助の立場がうらやましくてならなかったんですね。だってさ、ご主人様の全幅の信頼を得て、また一生を仕えるに足るご主人様を目前にしていたんですよ。これをうらやましいといわずして、なにをうらやましいといいましょうや。私には佐助を他人事とは思わず、一心に感情移入して読みましたね。美しいご主人春琴に仕える佐助の一挙手一投足に心を移し、佐助のうけるすべてを自らのものとしてうけて、いや、やはりこの物語は美しい物語であると思ったのでした。

おそらく、この物語中最も美しい場面である、佐助が主人を思うあまりに、自身も盲目となろうとするところ。この場面の前後を読めば、佐助と春琴の間柄の尋常でない結びつきがわかります。日頃は見せない春琴の佐助への思いがどれほど深いものか、またそれを一身に受け応えようとする佐助の愛のいかに大きなことか。

試みに針を以て左の黒眼を突いてみた黒眼を狙って突き入れるのはむずかしいようだけれども白眼の所は堅くて針が這入らないが黒眼は柔らかい二三度突くと巧い工合にずぶと二分程這入ったと思ったら忽ち眼球が一面に白濁し視力が失せて行くのが分った

なんと美しい場面であるかと思われます。いたいいたいーといいながら、美しさにため息をつきます。

  • 谷崎潤一郎『春琴抄』(新潮文庫) 東京:新潮社,1951年。
  • 谷崎潤一郎『春琴抄・蘆刈』(読んでおきたい日本の名作) 東京:教育出版,2003年。
  • 谷崎潤一郎『春琴抄・蘆刈』(角川文庫) 東京:角川書店,2000年。
  • 谷崎潤一郎『春琴抄・吉野葛』(中公文庫) 東京:中央公論社,1986年。
  • 谷崎潤一郎『春琴抄・盲目物語』(岩波文庫) 東京:岩波書店,1986年。

引用

  • 谷崎潤一郎『春琴抄』(東京:新潮社,1951年),64頁。

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