2008年5月29日木曜日

あぶない!図書委員長!

 十年二十年前ならいざ知らず、今更眼鏡を云々する気にはなれないし、それに私はメイドにも興味がないときています。委員長という肩書きに心動かされることもありませんし、巨乳なんぞとなればもってのほか。なのにこうした方面への傾きを強く感じさせる西川魯介の本が出ていると察知すれば、きっと必ず買ってしまうというのだから説得力がありません。けれど、西川魯介の漫画はすっかり高度専門化しちゃったなあ、特に眼鏡やらそういう方面の描写、話の展開、それからギャグなどもろもろにそういったこと感じること多く、その特化具合、すっかりできあがった西川魯介的世界に、私はそろそろ振り落とされるのかも知れないなと感じることがあります。特にここ最近の図書委員長ネタにおいてはその傾向色濃く、でもそういいながら新刊が出てるのを見かけたら買う。だから結局は好きなんでしょう。西川魯介を切るか、あるいは切られるか、そのどちらであるとしても、私はまだこの人の漫画をあきらめきれずにいるようです。

西川魯介の専門化、それは結局は、西川魯介の提示するキャラクター、のり、物語世界の雰囲気などなど、そのカバーする範囲がどんどん絞られ、深化しているということだと思うのです。だから、きっとこの提示される趣味にぴったりマッチするような人、同じ世界を見、価値を共有できる人にはこのうえもない楽しさがあって、読めば読むほどにはまる、深まる、どんどん持ってこいってな状況にもなろうというのでしょう。ですが、その先鋭化する世界に違和感を感じたものはどうなるかというと、はじき出される他ないわけでして、そして私はその限界の線上にいるのではないかと、我が身を省みて思います。

ここ数年の状況、薄々思っていた以上のこと、今日『あぶない!図書委員長!』を書店にて見て、こうして新刊が出ることの喜びを感じつつ、しかしいよいよ追いつめられたような気分にもなったのは、これが眼鏡図書委員長を前面に押し出したものだったからでした。ああこれは危険かも知れないなあ、用心しいしい読みはじめ、正直、電車の中で読むのは少々きつい展開。まあ、それでも読むんですが。『あぶない!図書委員長!』は、いつもの魯介節からはじまって、嫌いじゃないさ、嫌いじゃないよ。けれど最初の二話ほどは少々の厳しさ感じたことを白状します。そのきつさが緩和されはじめたのは第3話くらいからだったでしょうか。いや、女装美少年が出てきたからじゃありません、多分。むしろ私がここで心を緩めることができたのは、片岡と高山の間に流れる、ほのかに息づき動き出す心の微細な震えの甘さのためでありました。

そうでした、私が西川魯介を好きだといったのは、こうした震える心のありようを描き出そうとする筆致、叙情感じさせる景色がためだったのでした。だから、『図書委員長!』は、水野委員長が少し退く第3話以降に、そして同時収録作である『dioptrisch! — ディオプトリッシュ!』においても、眼鏡眼鏡とかまびすしい奴らを尻目にふと盛り上がりを見せるかと思われた望月、阿部の交わす視線に漂う色のあでやかにしてうぶである様に心を持っていかれそうになって、ああ、やっぱり直接的な性表現はいらないですよ。誰かに、憧れをともに触れようとする時のしびれにも似た感覚、鮮烈で清冽であるがゆえに、恐れを感じないではおられず、怯えをともにおずおずと伸ばされた指がそっとあの人の心に触れる、そんな世界に再び立ち返るかのような気配を感じて、私は少し嬉しかったです。

こうした傾向、これからも続くのか、それともより以上に専門化が進むのか、それはわかりませんが、まだ私は西川魯介の漫画に触れていたいと思っているようだということが知れて、それはとてもよかったと思っています。

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