一年ぶりの『アスペクト』。とはいってもここに取り上げなかっただけで、見かければ確保、読んではいたんですが、それでも定期購読しているわけではないから、見落としなんかもあったかもなあと思っています。まあ、それはどうでもいい話。出版者アスペクトの出しているPR誌、これが妙に人を食ったような味があって面白いんです。特に、巻頭の特集にその傾向は強く、ネタとしては割と真面目なんだと思うんですけど、その展開の仕方が妙。編集者や書店員といった本に関わる人に聞き取りするというスタイルなんですが、いらんやり取りが書かれていて、めちゃくちゃ面白い。だから私は、なにをおいても特集は読みますね。と、ここで本題です。『アスペクト』2008年3月号の特集は「おっさんと読書」。本を読まないといわれるおっさんに本を読ませるにはどうしたらいいだろうかという、問題提起であります。
しかし、なぜ「おっさんと読書」にそんなにもひかれたのか。いや、そうじゃないんです。この問題提起を受けて思うところがあったのではなく、むしろその内容です。ちょっと引用してみましょう。書評家という肩書きで永江朗氏答えていわく:
いま、時代小説が人気です。歌舞伎みたいなもので、しゃべり方も枠組みも決まっている。殿様か町人かの違いはあるけれど、キャラクターとかシチュエーションも全部決まっている。その中で微妙な違いでやるのって、きっとおっさんにはぴったりだと思うんですよ。
さらにもういっちょう:
「新しいものを吸収するのは疲れた」という人は、設定が全部用意されているものに入りこみやすい。そういう前提で考えると、時代小説のショートショートというのは、いままでにない。
上の文章のキャラクターとかシチュエーションも全部決まっている。その中で微妙な違いでやるというくだり、これを読んで、ああ、いわゆる萌え四コマに寄せられる感想そのものだって思ったんです。
『まんがタイムきらら』とか『まんが4コマKINGSぱれっと』をはじめて読んでの感想や、あるいはこういった雑誌に載っている四コマに対する否定的な評に顕著なのが、どれを読んでも同じという文言です。確かにそうかも知れません。似た形式、構造、パターンを持つ漫画は確かに多い、それはわかります。けれど、違うのは絵柄だけ、かわいい女の子がいるだけでお前ら満足なんだろ、だなんていわれたら、それは違うと答えます。ちゃんと違いはある。形式、様式もろもろは似ているけれど、そこには確かに差異があるんです。明確に言葉にして説明するのはむつかしいのだけど、感じ取れる空気、雰囲気、感触にちゃんと違いはあるのだよといいたい。ええ、少なくとも連載されてる多くの漫画から、頭ひとつ抜けて、その面白さを認知させているタイトルは、それだけの違いというものをもって、読者に自分の存在を誇示しているんです。
けど、熱心な読者以外、それこそ一見さんやちゃんと見ようとしてくれないアンチの人には、その差異が際立ってこないんですね。だからなおさら駄目なジャンルに見えてしまう。こうした向きを説得して、面白さを知ってもらおうだなんてもうちっとも思わないけれど、でもキャラクターとかシチュエーションも全部決まっている。その中で微妙な違いでやるといわれるような特性は、時代物ならずとも、これら四コマにおいても同様であるのだろうなあと感じた。だから、件の文章にはくるものがあったのですね。
参考
さて、二つ目の引用から気になる部分。DV系四コマにおいてはキャラクターやシチュエーションが決まってしまっている(部分もある)ということを認めてしまった私は、「新しいものを吸収するのは疲れた」という人は、設定が全部用意されているものに入りこみやすいという言説も認めなければならないのかなあ。実は悔しいことに、私はかなり疲れた状態で四コマにたどり着いたという経歴を持っているんですが、でも私のいう疲れたは、漫画そのものに疲れたというよりも、漫画を取り巻く売らんかな主義、メディアミックスやらなんやらでどかどか出る関連商品に疲れ果てたわけですから、ちょっと違うと思いたい。
参考
萌えと呼ばれるものと四コマが結びついて、こうまで広がったのは、なにも『あずまんが大王』がヒットしたからではなく、ましてや雨後の筍、二匹目の泥鰌狙いがぼこぼこ出たからでもないと、私自身は思っています。『あずまんが大王』がなかったら、別のなにかが出ただろう。時期こそはわからないけれど、いずれきっとそれに準ずるヒット作が出ただろうと思っていて、そしてその後に続く類似のものが、広くジャンルを形成しただろうと思っているのです。なんでそう考えるかというと、四コマという形式と萌えと呼ばれる様式は親和性が高いと感じているからです。
萌えと呼ばれるもの — 、キャラクター性やシチュエーションの魅力を見せ、展開するためのプラットフォームとして、コマよっつを一区切りにして畳みかけられる四コマ漫画の形式はすごく理想的です。キャラクターそのものがテーマとなりうる舞台において、キャラクターは当然自身のキャラクター性を表現することが求められるわけですが、その表現するという行為はテーマの提示展開だけでなく、キャラクターやシチュエーションの説明、そしてキャラクター性そのものを強化していく手段としても機能するわけです。もちろんこういったことはコマ割り漫画でも見られるのだけれど、四コマ漫画の合理性には及ばないだろう、ましてや循環のうまくいっている四コマの効果は絶大だ。こんなことを私は考えているのですね。
けれどそうはいっても、あ、話は戻りますよ、まとまった時間がなくて本が読めないおっさんには時代小説のショートショートがうけるはずだという意見を見て、ああ、なんのかんのいっても、DV系四コマを好む人たちも時間がないのかも知れないと思ったんですね。生活が忙しい、慌ただしいからなのか、次から次へリリースされる雑誌、漫画、ノベル、アニメ、ゲームを追うのに汲々としているからか、それは私にはわからんことです。ですが、一人一人は自分自身の状況を見て、思い当たるところはあるんじゃないかなと、そんな気もして、じゃあ私自身の場合は? やっぱり時間はないと思う。けど、四コマを読みはじめたのは、隙間時間に細切れで読めるから、ではなかったのも事実です。四コマを読みはじめた時の私にとって、四コマというジャンルには、少なくともそれまで知らずにいた魅力があった、それが全てであると思いたい。そして今は、と問われれば、それを知りたいがためにこうしていろいろ書いているんですと答えます。
- 『アスペクト』2008年3月号(2008年3月15日発行)
引用
- 『アスペクト』2008年3月号(2008年3月15日発行),7頁。
- 同前。


この漫画がはじまった時、まさか後にアニメ化するだなんてまったく思いもしなかったどころか、そう長くないんじゃないかなどと失礼きわまりないことを思っていたのが懐かしい。そうなんですね、自分にはあまりピンとこなかったのです。ちょっと硬めの絵、表現はどことなくこわばった印象をあたえたものですし、描かれる内容にしても特に真新しいものでなく、だからどうだろうと思っていたら、私の見立てはいつだって外れますね。人気が出たのですよ。表紙を取るようになり、さらにはアニメ化されて、限定版だって出ました、アンソロジーだって出ました。はあ、すごいねえと私は感心して、確かに面白かったものなあ。そう思いながら、実は今なにをどう書いたらいいかわからなくて困っています。
この人は設定を作るのが好きな人なのかなあ、きっと作らないでは気が済まないんだろうなあ、みたいなことは『

『
門井亜矢の漫画はなんか変に脱力しているというか、微妙な緩さがあって、時折作者にやる気あるのかどうか疑問に思ったりもするのだけど、けどその力の抜け具合が妙に面白かったりするものだから、あんまり問題とは感じません。むしろそれが味といっちゃった方がいいのかも。気の置けない友人と、だらだらしゃべる面白さってあるでしょう。この人の漫画って、そんな感じがするんですね。だんだん頭が煮えてきて、どうでもいいことでも面白くなってくる時間。普段だったら間違っても口にしないようなギャグ、くだらない駄洒落とか、下ネタとか、あるいは皮肉交じりのブラックなジョーク、そんなのを思いついたままにしゃべって面白がってる。気だるい楽しみですよ。でも、それができる相手ってやっぱり限られてて、つきあいの長さ? 腐れ縁? それともよっぽど気が合った? そういった特別な条件が揃ってはじめて得られる楽しさなのかなと思うんですが、だとしたら私はこの人の漫画に、『天然女子高物語』に、なにか特別な条件を感じ取っているとでもいうのでしょうか。波長?





ほへと丸という、ちょっと変わった名前の漫画家がいらっしゃるんですが、私はこの人の描く漫画がすこぶる好きでありまして、なにがいいといっても、その独特の緩やかさであります。出てくるキャラクターの皆善良なこと。にこにことしてほがらかで、前向きで芯から強くて、だから読んでいるだけで、いやさ眺めているだけで気持ちが和んできて、にちにちの疲れも溶けて流れていってしまうは、とげとげしくいらついていた気持ちもすっかり丸められてしまうは、本当、この独特の当たりはなんなんでしょう。間違いなく今の漫画であるんだけれど、過ぎた日の懐かしさも感じさせるような、穏やかで優しくて、人の体温の心地よさを思い起こさせてくれるような、そんな暖かさにあふれているんですね。そして私をなにより捉えるのは、この人の描く漫画の端々に感じ取れる、人とその暮しを愛おしく見つめるまなざしであろうかと思うのです。今日を懸命に生きる人とはこんなにも愛おしいものなのかと、私のような心の凍えた人間にも思わせるのですから、本当に貴重な、それこそなくなってもらっては困る、大切な漫画であるのです。
二日続けで『
今日、ちょっと呼び出しを受けたものですから、申し訳ないけどお仕事お休みしましてね、京都にいってきました。まあ呼び出しったって強制ではなく、お世話になっている人が、21日京都で人と会うんだけどあなたもいかがって聞いてくださったものですから、じゃあ、折角ですからという感じに受けたのでした。と、ここで、京都に出るんだったら便箋封筒の類い買い込んでおこうと思いつきまして、なにしろ京都には
先日、『
表紙で買いました。作者は陸乃家鴨、おかのあひると読むみたいですね。と、ここでいきなり作者の名前を確認しているのはなんでかというと、ちょっと気に入ってしまったといいますか、どうも既刊買い集めコースに入りそうだぞという予感がしているからでして、まあ相当気に入ったってことなんじゃないかと思います。ところで、陸乃家鴨っていうのは成年向けタイトルに使っている名義なんだそうでして、つまり別名義で他のジャンルでも描かれてるっていう話を、つい今さっき知りました。この名義だけでも結構出ているうえに、他名義も! そうなるとかなり骨が折れそうだぞ。なので、まずは陸乃家鴨名義を、全部とはいわず、買いやすそうなところから買っていってみたいと思っています。
タイトルだけは知っていたこの漫画、いつか読まねばなるまいなと思っていて、なぜか? 単純な話ですよ。タイトルが『ふぃぎゅあ — こととねシークレット』。なんと、うちのサイトとちょっとかぶってる。正直なところ、これはレアだなあと思われて、いやね、言葉ふたつ繋ぎ合わせて作った名前です。ちょっと発音しにくいし、キーボード打つ時に、kototoneのつもりでkotototoneになったりするような、そんな有り様だから、あんまりかぶることはないんじゃないかと思っていたんですよ。けど、かぶってしまいました。かぶっているのはこの漫画だけでなく、自分の知っているかぎりいつつくらいかな? こととねという名前の人(?)、もの、団体はあるようで、ちょっとした縁といってもいいものでしょうか。なんだか嬉しく思っています。
やるドラについて書いていたのは2005年のことだったのに、なぜだかついつい忘れてしまい、今年にまで持ち越してしまいました。『雪割りの花』。PlayStationで展開された初期やるドラ四部作の最終タイトルとなったのが『雪割りの花』でありました。明らかにアニメを意識していた前三タイトルとは違い、より年長向けのドラマを、アニメではなくドラマを意識した作りは賛否両論を巻き起こしました。いや、本当です、本当。当時はまだインターネットの時代ではなく、パソコン通信のフォーラムでの話なんですが、『雪割りの花』は美少女ゲームではない論から、主人公があまりに画面に出すぎるのはどうかといった意見、さらには、あの絵が受け付けんというものまで。ほんと、いろいろありました。けど否定意見はたくさんあれど、やるドラで一番なにが好きって聞かれたら『雪割りの花』だと私は答えます。ええ、彼らの批判する欠点は、私にとってはなにも不都合感じさせるものではなかったのです。
なんかここ数日、児童ポルノ規制法絡みの話題がにわかに盛り上がりつつあると感じられるのは、今月11日に
今日は世間ではホワイトデーというものらしいので、恋愛に関する漫画を取り上げてみたいと思います。で、『
アメリカのスペースシャトル、エンデバーが打ちあげられて、今日で二日目。日本人飛行士土井隆雄氏が搭乗されていることから、日本のメディアでも盛んに取り上げられて、新聞、テレビ、なんだかわくわくしますね(NHKのフランス語ニュースでもとりあげられてます!)。さて、今日のスペースシャトル関連ニュースは音楽についてでありました。スペースシャトルでは目覚ましに音楽をかけてくれるのだそうですね。その音楽は、搭乗員やその家族のリクエストで決められるというのだそうですが、二日目の今日は土井さんの奥さんひとみさんの選曲、『


順調に巻を重ねていく『
Amazonからおすすめされて、あ、これはよさそうだ、買わないとと思った絵本があったのです。それは『こぐまちゃんいたいいたい』。今日、『
『
『気分は上々』が単行本にまとまると知って、おや意外だと思った、もうそれこそ申し訳が立たないくらいに失礼な感想ですが、だってまさかと思ったんだもの。建築の現場事務所にて働く女性事務員ジョーがヒロイン。職業ものといったらいいでしょうか。業種も部署も明確でない汎用OLものも多い中、はっきり建築と打ち出したこの漫画。大工、鉄筋工、親方といった男所帯に花を添えつつ、しっかり切り盛りするジョーさんの手腕にほれぼれしつつ読んでおります。しかし、なんで私は単行本化されないだなんて思ったんだろう。好きで読んできた、それは間違いなし。だとすれば、思い込みってやつなのでしょうね。
『つくしまっすぐライフ!』、ヒロインなずなはのびのびとして、その健やかさが魅力であるなと思うのです。作者後書きにて曰く、
私の嶺本八美との出会いは『
ぱんつ特集というわけでもありませんが、今日は『パソコンのパはぱんつのぱ』を取り上げてみようかと思います。行き付けの書店に用意された試し読みの一冊、凝った表紙、カバーに興味を引かれて手にして、読んで、あら割りといい感じ、買ってしまった。私には実によくあるパターンであります。表題作、『パソコンのパはぱんつのぱ』は、高校生の男子二人の、ちょっとドキドキのストーリーなのですが、いやあ、なんといいますか、あの髪留めのシーンなんて、最高じゃないかと思ったりして。って、私は一体なにをいっているのでしょう。男同士の恋愛ものにこうもエキサイトしてしまうとは! でも、まあ、わきまえたうえで楽しんでいるから大丈夫。大丈夫なんだと思いますよ。
今から考えても、奇跡のような番組だと思うのです。『まいっちんぐマチコ先生』。私がこれを見たのは、おそらくは再放送であったかと思うのですが、KBS京都かあるいはテレビ大阪か、最低でも三度は見てるから、多分どちらでもやってたんだと思います。いやしかし、子供のころ異様に厳格だった私が、なぜ例外的に『まいっちんぐマチコ先生』だけは許可していたんだろうと、そちらの方が不思議です。学研だからか? 『まいっちんぐマチコ先生』、製作は学習研究社でした。一体なにを研究してるんだ、っていうのは今やどうでもいいことで、むしろこうした番組が成立していた事実、その方がずっと重要です。
さすが学研、ぱんつに関してはオーソリティだぜ。なんだかいきなり意味わからんこと言い出していますが、私らの世代で学研というと、第一に学習科学が思い出されて、じゃあ次はとなりますと『
もし青野が看病にきてくれるというのなら、風邪をひくのも悪くないかも知れませんが、現実にそんな夢のような話なんてあるわけないのですから、今晩から明日にかけて、私はひとりで闘病です。いやね、インフルエンザにかかっていまして、まだ熱は出ていないのですが、そろそろ頭がくらくらしてきまして、こりゃもう確定だなあって、そんなちょい絶望気分なんです。けどそんな絶望の明日が確実であったとしても、潦が看病にきてくれるというのなら耐えられる。いや、だからそんなことはあり得ないのであって……、すいません、ちょっとくじけそうです。
よくできたアルバムであるとは聞いていたのです。でも正直ここまでとは思いませんでした。漫画『
