2008年3月5日水曜日

パソコンのパはぱんつのぱ

 ぱんつ特集というわけでもありませんが、今日は『パソコンのパはぱんつのぱ』を取り上げてみようかと思います。行き付けの書店に用意された試し読みの一冊、凝った表紙、カバーに興味を引かれて手にして、読んで、あら割りといい感じ、買ってしまった。私には実によくあるパターンであります。表題作、『パソコンのパはぱんつのぱ』は、高校生の男子二人の、ちょっとドキドキのストーリーなのですが、いやあ、なんといいますか、あの髪留めのシーンなんて、最高じゃないかと思ったりして。って、私は一体なにをいっているのでしょう。男同士の恋愛ものにこうもエキサイトしてしまうとは! でも、まあ、わきまえたうえで楽しんでいるから大丈夫。大丈夫なんだと思いますよ。

恋愛ものにもいろいろあれど、中でもBLものに特異な要素があるといえば、それはやはり恋愛感情を認めるまでの、あるいはさらにその先の、感情を行為に移そうとする時のハードル、その高さにあるのではないかと思っています。

同性愛は認められつつもあるとはいえ、いまだマイノリティにとどまっています。異性愛をさしてノーマルと表現されるような社会において、いつの間にか男を好きになっている自分に気付いた時に、ちょっと待て、俺! そう思うのはある意味当たり前であろうかと思います。それに、自分が男を愛してしまったという事実を受け入れたとしてもですよ、相手がそんな自分を受け入れてくれるかどうかはわからない。いや、ほば100パーセントあり得ないんじゃないか、そう思ってしまうわけですよ。ただでさえ切ない片思いがなおさら切なさを増しますわな。そこで、俺、気持ち悪かったよな、ごめんな、なんて引き下がられてしまったら、もうどうしたらいいかわからんようになってしまいますわな。

『パソコンのパはぱんつのぱ』は、そうした切なさが全開になってしまうタイプの漫画でありまして、なので私はもうどうしたらいいかわかりません。今まで隠し続けていた気持ちを相手にぶつけてしまって、しかしそれがために距離を置かれてしまった。拒絶ですよ、拒絶! けど、拒絶された側にも、拒絶するかたちになってしまった側にも、言い知れないわだかまり、心のうずきが残ってしまって……。よかったというのは、それからのくだりでありました。

小道具としての髪留め、そしてパソコン。直接的に愛を語ることは極力避けて、けどこれはふたりともハードルを越えちまったなあ、それがわかるようになっているのです。

友情と愛情のあいだでとまどっている二人の思い。お互い、得難い友人を失いたくないと思っているから、気持ちを抑え退こうとした、これは友情なんだと思い込もうとした。そうした感情が切々とうったえましてね、だって、好きという気持ちを抑える、なかったことにしたいだなんて、やっぱり悲しいじゃないですか。君らは本当にそれでいいのかと思う、ふたりの思いはこのまますれ違い続けるのか、やきもきしながら読んでいるから、本心ではそれ以上を期待してしまっているのかも知れない自分に気付く描写が胸を締めつけるのです。ああ、踏み出せよ、いや踏み出そうにももうそのチャンスがないのか……、そう思ったところに届けられる、たどたどしくつづられたお礼の言葉 — 。

ああ、なんだろう、泣きそうじゃないか。あそこでたどたどしさ持ってくるのはずるいと思いました。けど、ずるくても綺麗だなあって思う。真摯な言葉、そこには感謝と愛情と、そしてなによりその言葉を受けとるものへの思いやりがあって、特に一番最後の一文。あれが効きました、効きましたね。そして、その言葉を受け取った側、彼の表情が、そして返信の強気装った言葉がすべてを物語って、というか、お前ら可愛すぎだ!

高いハードルを乗り越えようという時には大きなエネルギーが要求される、だからこそBL/MLものにはヘテロの恋愛を描こうとするよりも大きな感情の波立ちが生まれるのではないかなと、少なくとも読む側の感情に、やった、越えた! という感情が生まれるのではないかと思っています。もちろん、流れるようなスムーズさで男性同士で好意を持って行為に及ぶというようなのもあるから、一概にいえないことはわかっています。でも、私がこの話はいい、好きだと感じる場合、どこかに抵抗がある、そしてその抵抗を越える瞬間があると感じています。仮に男性同士の恋愛がタブーであるというのなら、俺のお前への愛は、タブーなんかに屈しないほど強いんだというような、まさに突破としか表現しようのないような感触です。

BL/MLを読む女性が、こうした愛の強さの証明される様にカタルシスを感じているかどうかはわかりませんが、私にとってはその感触を得たいからBL/MLを読んでいるといっていいと思います。それはあるいは、そういう愛し愛され方をしたいっていうことかも知れませんね。あ、いや、男同士っていうわけではなくて、男女のあいだにおいても、そうした強い愛の確証が欲しいと思っているということだと思います。

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