2008年3月16日日曜日

雪割りの花

 やるドラについて書いていたのは2005年のことだったのに、なぜだかついつい忘れてしまい、今年にまで持ち越してしまいました。『雪割りの花』。PlayStationで展開された初期やるドラ四部作の最終タイトルとなったのが『雪割りの花』でありました。明らかにアニメを意識していた前三タイトルとは違い、より年長向けのドラマを、アニメではなくドラマを意識した作りは賛否両論を巻き起こしました。いや、本当です、本当。当時はまだインターネットの時代ではなく、パソコン通信のフォーラムでの話なんですが、『雪割りの花』は美少女ゲームではない論から、主人公があまりに画面に出すぎるのはどうかといった意見、さらには、あの絵が受け付けんというものまで。ほんと、いろいろありました。けど否定意見はたくさんあれど、やるドラで一番なにが好きって聞かれたら『雪割りの花』だと私は答えます。ええ、彼らの批判する欠点は、私にとってはなにも不都合感じさせるものではなかったのです。

初期やるドラは、記憶喪失のヒロインを巡る物語を春夏秋冬それぞれ違った手法で展開してみせた、ちょっとした意欲作だったんです。『ダブルキャスト』はサイコサスペンスを、『季節を抱きしめて』はギャルゲーっぽい恋愛ドラマを、『サンパギータ』はバイオレンスでしたっけ? 一般人がマフィアの抗争に巻き込まれるの、そういうの描いて、それぞれに面白かったんですね。そして『雪割りの花』ですよ。北の町にて繰り広げられる、愛と背徳のストーリー。恋人を失ったことを受け入れられず、記憶を失うことで自我を守った花織がヒロイン。主人公は花織の偽りの恋人を演じることで、彼女を救おうとするのですね。

しかし、この話、実に暗いのですよ。主人公は、花織を救いたいと純粋に思いながら、同時に恋人のふりをすることで以前から思いを寄せていた花織に寄り添おうとすることの偽善を自覚しているんですね。そして、選択次第ではその精神を見事に崩壊させていって — 、私の記憶が確かなら鬱ポイントという隠しフラグがあって、気のめいる選択を選ぶことによって、どんどん鬱よりになっていくんですね。そしてある一定の値を越えれば、咲く花も咲かず、でも、なにもかも嘘じゃない! 自らの生活を捨ててまで守ろうとした恋しい花織を目の前で失ってしまうという、おそろしくも悲しいエンディングに突入してしまうのです(当然バッドエンド)。

もう何度見たかわかんないですよ。達成率を100%に持っていくべく何度も何度もループループループ。総当たりでルートを選んでいくんだけど、バッドエンド、バッドエンドの繰り返しで、ええいプレイしてるこっちの気が滅入ってくるわい。けどその滅入り具合が心地よいというか、いや同調したらまずいんだけどさ、でも愛に殉ずるっていうテーマはヒロイズム中のヒロイズムでしょう。ゆえに酔いやすく、ゆえに危険で、しかしこのゲームの愛って一種偽りであるわけでしょう。真っ正面からの愛ではなく、相手を騙すことで成立している、非常にゆがんだ愛のかたちです。実に苦いヒロイズムであるわけです。酔おうにも酔えない、しかし苦さをもろともにあおればこれが実に甘味と感じられる瞬間もあって、面白いよ! その倒錯感、徐々に危うさを増していく主人公と今にも切れてしまいそうな花織との関係性、最高です。本当、これは実に私好みであったのでした。

さて、実は私、やるドラでは『雪割りの花』だけ全エンディングを見ていないのです。達成率を上げようと思ったらドツボにはまったといいますか、どうやってもグッドエンド2にしかたどり着けないという悪い循環に入ってしまいまして、だからちょっと苦い思いでいるんです。いつか余裕を見て、再チャレンジしたいなと思っています。達成率はどうでもいいから、すべてのエンディングを開いてやりたいなと思っています。なので、私にとって『雪割りの花』は、まだ終わったゲームにはなっていないのですね。

0 件のコメント: