ほへと丸という、ちょっと変わった名前の漫画家がいらっしゃるんですが、私はこの人の描く漫画がすこぶる好きでありまして、なにがいいといっても、その独特の緩やかさであります。出てくるキャラクターの皆善良なこと。にこにことしてほがらかで、前向きで芯から強くて、だから読んでいるだけで、いやさ眺めているだけで気持ちが和んできて、にちにちの疲れも溶けて流れていってしまうは、とげとげしくいらついていた気持ちもすっかり丸められてしまうは、本当、この独特の当たりはなんなんでしょう。間違いなく今の漫画であるんだけれど、過ぎた日の懐かしさも感じさせるような、穏やかで優しくて、人の体温の心地よさを思い起こさせてくれるような、そんな暖かさにあふれているんですね。そして私をなにより捉えるのは、この人の描く漫画の端々に感じ取れる、人とその暮しを愛おしく見つめるまなざしであろうかと思うのです。今日を懸命に生きる人とはこんなにも愛おしいものなのかと、私のような心の凍えた人間にも思わせるのですから、本当に貴重な、それこそなくなってもらっては困る、大切な漫画であるのです。
(画像はほへと丸『ひだまり家族』)
しかし、ほへと丸という人は、ただ微温的な漫画を描いて満足しているような人ではなくて、暖かさと愛らしさがないまぜになったような世界をベースに、ちょっとシニカルなネタ、ナンセンスなおかしみから、思いもかけないありそうネタまで、多種多様な展開してくれて、楽しいやらおかしいやら。突拍子もない発想があったり、しれっととぼけて見せるような人の悪さも見せたりして、けどその向こうにいたずらっぽい笑みが浮かんでいると感じられる、そんな身近さですよ。たまんないです。だいたい『ヨメけん』にしても、部活乗っ取りをたくらんでいた折り紙部ふたりが、部の私物化に成功したひなた先生にすっかり取り込まれてしまっているという、不穏なんだかほのぼのなんだかちっともわからない前提がそもおかしくて、それを支えているのが『ひだまり家族』のヒロインであったルイだったり、そしてルイの従姉妹のカナであったり — 。いろいろな個性がぶつかるでもなくぶつかって、けんかするわけでなく、なれ合いすぎるわけでなく、でもすごく調和してると感じられる、そこが好きなんですね。すごく釣り合いのとれて安定した、いい関係ができあがってるなと思って読んでいたんです。
そして『ヨメけん』、最新号で、カナが地元に帰ってしまいました。びっくりしましたよ。まさかこんな別れが予告もなく訪れるだなんて、思ってもいませんでした。びっくりしたのは、折り紙部残党であるアリカやサトだけでなく、読者である私にしてもそうだし、もしかしたら作者にしてもそうだったのかも知れません。誰よりもヘコんだんだそうですから — 。けどそれもわかる気がします。それだけ、キャラクターの一人ひとりに愛着をもって対していらしたんでしょうね。それだけに、状況を動かすことを決めた、その決意は大きかったんだと思うのです。安定して心地よい状況をあえて動かす。そうした決意は、もしかしたらほかならぬカナの台詞に色濃く反映されていたのかも知れません。
日常をかえる時って
すごくエネルギーいるけど一度かわった日常は
いつかなじむものなんだよだから大丈夫
先生も頑張ればきっと
自分を変えられるよ
たったこれだけの台詞。二コマ、吹き出しにしてよっつ。まっすぐな目をして、ひなた先生に向けて贈られたこの言葉は、漫画の向こう、誌面の向こうから私に向けても投げ掛けられたかのように響いて、ばかばかしいと自分でも思うんだけど、何度見ても涙が出るんだ。見返すたびに涙が出るんだ。どうにも涙が止まらなくなって、それは今変わらなければならないことを理解し、切望しながらも、怖れに縮こまってしまっている私の胸のうちを、あの娘がとーんと打ち抜いたからかと思うのです。鮮やかに、軽やかに、したたかに、けれど優しさが、暖かさが、その一撃にはともなっていたから、痛みはなく、むしろ怯えていた自分がおかしくなるくらい。頑張らないとね、泣いてどうするんだ、顔あげてどうにか笑って見せようとするよな、勇気奮い起こさせてくれる、強くて深い第一級の言葉だったんですね。
『ヨメけん』は駄目な先生を立派な女性にしようという話。隅から隅までコメディなんだけれど、でもその真ん中には人という存在の愛おしさがしっかりとあるものだから、心ひきつけられてやまない。そんな、素敵な、大切な、愛おしさに胸をいっぱいにして読む、最高の漫画であります。
- ほへと丸『ヨメけん — お嫁さん研究クラブ』
引用
- ほへと丸「ヨメけん — お嫁さん研究クラブ」,『まんがホーム』第22巻第4号(2008年4月号),91頁。
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