2008年3月11日火曜日

花の湯へようこそ

   順調に巻を重ねていく『花の湯へようこそ』、ついに第3巻の刊行ですよ。嬉しいなあ。確実に単行本の売れる作家として認識されているということでしょうか。それこそ3巻なんて、発売が2008年3月7日であるのに対して、収録話はというと『まんがタイムスペシャル』2008年2月号収録分までという超接近ぶり。これはもう、ページの溜まるのを待ってましたとしかいいようのない、そんな状況であるとしか思えません。

私は、渡辺志保梨の描く漫画の面白さは、シンプルなパターンの繰り返しにあるのではないかと思っているのですが、例えば『ごちゃまぜMy Sister』なら36番や純の健啖あたりがそれにあたるだろうし、『大人ですよ?』だと小夜子の見た目中学生ネタやぶてぃっく雅の店長の占いなどがそうでしょう。もちろん『花の湯』も同様に、よっちゃんの家庭風呂への憧れや園生君の銭湯に寄せる偏愛、娘がいつか一緒に風呂に入ってくれなくなることを怖れるお父さん、胸の小さいことを娘に無邪気に指摘されるお母さんなど、基本となるシンプルなネタが多種用意され、そしてそれらはパターンとして繰り返されます。

この繰り返しをどう評価するかで、渡辺志保梨の表現の受け止めようも違ってくるかと思うのです。人によっては、毎回同じネタばっかりと思うかも知れないし、ひいては飽きた、退屈という、そういう感情を生みだすことにも繋がりかねません。ですが、よくよく見れば、その繰り返しは繰り返しでありながら、同じではないのですね。前提を違え、シチュエーションを変えて、ともないその味わいも変化する。それはあたかも音楽においてテーマが変奏、展開されるのにも似て、あるいは同じような日々の繰り返しの中に過ぎる私たちの人生にも似ていると、そんな風にも思われるのです。見出されなければ退屈な日々の些事として流されてしまうようなものも、ワンダーとともに掬い上げられれば、魅力的なものとなる可能性を秘めている。同じに思える毎日ですが、同じであったことなど一度たりともないのですね。とはいえ、片思いちゃんや………?さんのパターンみたく、バリエーションをもちそのつど展開を違えながらも、望み薄の結末に落ち着いてしまうというところなど見てますと、人生のシビアさを思い知らされるようではありませんか。

いや、ちょっと大げさにいいすぎました。『花の湯』はなんといってもシンプルな楽しみ、おかしみのあふれる漫画ですから、これを見て人生やらを思うのは、どう考えてもやりすぎです。

第3巻に入って、新たな登場人物が出現して、繰り返されるパターンも増えました。しかし今度のパターンはちょっと異色といいますか、もしかしたら動かない状況を動かす動因になるかも知れない、そんな可能性を秘めているように感じます。よっちゃんに片思いする男。彼の介入が三角関係的状況を生み出すことによって、これまで成立しなかった劇的展開に突入するのか否か? いや、多分そういうことはないのだろうな。そう思いながら、けどまれに、園生君とよっちゃんのあいだに、恋愛とまでとはいわないけれど、なんだかそうしたものに似た感情の萌芽が見られるようなところもあって、ほほ笑ましく、なんだか嬉しく、けどきっとこれが大きく盛り上がるようなことはないんだろうなあ、安心しているといいますか、ええ、今のこの穏やかで楽しい関係が持続して欲しいなあと思っているみたいなんですね。

今のこの仕合せを少しでも長く — 、そんなことを思ったことのある人には、渡辺志保梨の漫画は向きかも知れません。代わり映えのしない毎日かも知れないけれど、だからこそきっと愛おしく思えるものなんですよ。家族、友達があって、おなじみさんがいて、そしてつつがなく過ごせるということの意味。とりわけ『花の湯』からは、そんなことを思っちゃうんですよね。いや、もちろん過剰な反応であることは当の自分が一番よくわかってます。けど、それでも、そう思ってしまうというのは、もしかしたら私自身が今の暮しという仕合せを、変えることなく、壊すことなく、一日でも長く維持したいと、そんな風に感じているからかも知れません。

あ、最後にちょっと驚いた話。

巻頭の人物紹介なんですが、この漫画で固有名を持っているのって、もしかして三人だけ? いや、ほんと、徹底してます。けど、名前やなにかがさだかでなくとも成立している関係っていうのも、なんだかちょっと素敵であると思います。

  • 渡辺志保梨『花の湯へようこそ』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2005年。
  • 渡辺志保梨『花の湯へようこそ』第2巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2006年。
  • 渡辺志保梨『花の湯へようこそ』第3巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

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