門井亜矢の漫画はなんか変に脱力しているというか、微妙な緩さがあって、時折作者にやる気あるのかどうか疑問に思ったりもするのだけど、けどその力の抜け具合が妙に面白かったりするものだから、あんまり問題とは感じません。むしろそれが味といっちゃった方がいいのかも。気の置けない友人と、だらだらしゃべる面白さってあるでしょう。この人の漫画って、そんな感じがするんですね。だんだん頭が煮えてきて、どうでもいいことでも面白くなってくる時間。普段だったら間違っても口にしないようなギャグ、くだらない駄洒落とか、下ネタとか、あるいは皮肉交じりのブラックなジョーク、そんなのを思いついたままにしゃべって面白がってる。気だるい楽しみですよ。でも、それができる相手ってやっぱり限られてて、つきあいの長さ? 腐れ縁? それともよっぽど気が合った? そういった特別な条件が揃ってはじめて得られる楽しさなのかなと思うんですが、だとしたら私はこの人の漫画に、『天然女子高物語』に、なにか特別な条件を感じ取っているとでもいうのでしょうか。波長?
特別な感覚、それを生み出す要因というのがきっとあるんです。こと『天然女子高物語』にはそいつが揃っているように感じられて、くだらない駄洒落、あります。下ネタ、結構あります。ブラックなジョーク、大いにあります。基本すごく緩いなかに、皮肉っぽいネタ、とりわけ自虐はいるようなものがやけにぴりっとしてましてね、ほら、こういう感じさ。あー、もー、わたしはだめなんだよー、これいじょー、がんばれねーよー、だれでもいーから、あいしてるっていってくれよー。みたいなことぐだぐだいってる癖に、具体的に誰さんがあんたのこと、気に入ってるっぽいこといってたよ、みたいにいわれると、えー、そいつはお断りだ! どっちやねん、みたいなのり。
申し訳ない。これ、絶対伝わってないね。読んでる人、意味わからないよね。いやね、わたしはどうもさいきんだめになってまして、かんがえてること、まとめられねーんですよ。ことばになんねーんです。あーもー、だれでもいーから、あいしてるっていいたいんだけど、そのいうあいてがいねーんだよー。管を巻くわけです。で、そのみっともない自分を責めるのね。責めて欲しいのね。でも、本当にそれどうかと思うよなんて諭されると、そういうのは勘弁してっていうのね。わかってるんだ、わかっててやってるんだよ。
そんなのり。わかんないね。うん、私もわからなくなってきた。次いこう、次。
初期の『天然女子高物語』はタイトルにあるように女学生の日常の一コマを捉えて漫画にしましたという、そんなのりがあったのですが、どうも途中から路線変更されたようで、登場する娘たちが固定されて、そして阿佐ケ谷先生がクローズアップされるようになって、微妙に方向性が不穏になった。そんな感じがしています。
女学生メインだった頃は、華やかで賑々しいなかに潜む女の本性、けれど友情も、みたいなそんなのりでいっていたのに、阿佐ケ谷先生とその友人に関しては、女はある程度年取ると化けるのか? そんな感じがするのがおそろしくって、実にいいんですね。友人だけどこの人には負けたくないって気持ちとか、気にしてないつもりで気にしていることが増えている現実だとか、そういうのがほのめかされる(というか、割と直球?)たびに、ああ、なんかいいなあって思えるのです。腹を割って話している感じ。さっきいってた、私ってほら駄目でしょ、っていって笑う感覚。でも、うん、ほんと駄目だねー、っていわれるとむっとする感覚。だから普通はそんなこといわないんだけど、阿佐ケ谷先生の友人、みっちょんならいいそうな気がする……。でさ、癇に障ることいわれてさ、あいつはもう駄目だって、昔からそうなんだ、いやなやつなんだよって、そんなことになって、連絡とらなくなったりするんだけど、ほどなくしたらまたなんとなく普通に付き合ったりしちゃうんだよね。って、これが私のいっていた波長の合う感じに一番近いんじゃないかと思います。
もちろん、この漫画を読んで癇に障るってことはないんです、私は彼女らの関係から外れた、一読者に過ぎないから。でも、彼女らのあいだでは、きっとそんなこともあるんじゃないのかなあ、って思う。微妙な友達同士の距離、 — まだ十代の娘たちの距離、そしてもうじき二十代が終わる娘たちの距離、それぞれ描かれて、それがまた妙にかけ離れているように思われたりもするんだけど、そのどちらにも友情はあって、変わらないところもあるんだねえと、ほっこりする。私はとうに二十代を終えた人間だから、若い娘たちのにぎやかな様子見ていると、ノスタルジック感じます。大学で、新入生のわいわいとはしゃいでいる様子見て、彼女らの時間は私の時間よりも早回しで動いている気がしますと、担当教官と話した時、実は私の新入のころはどうだったんだろうって思ってた。若い人たちを見ていると、なんだか懐かしく思えてくる。『天然女子高物語』にはそういう感傷も隠されているように思います。
昔なじみとの無駄話構成する要素は、ばかばかしいギャグ、駄洒落、下ネタ、自虐と、そして思い出話。昔やった馬鹿を暴露する、よかったこともしみじみと思い出して、そんなこともあったねと笑う。私にとって『天然女子高物語』は、そんな感じの残る、昔なじみの匂いかね、ちょっと特別な感触のする漫画なのでありました。
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