2006年12月27日水曜日

天上の弦

 ずっと新刊が出るたびに楽しみに読んで、読み終われば読み終わったで、この続きはどうなるんだろうと楽しみにしてきた漫画『天上の弦』がついに完結しました。最終巻は十巻、なんか一気に老けられたなと思って、これで終わりかなと思っていたら本当にそうで、ちょっと残念に思うところもあり、けれど円満な終わりを余韻ふくよかに迎えることができて、読者としては非常に満足でありました。というか、すごいよね、この漫画。実際に動乱の時代を生き抜きついにマスターメーカーにまで達した陳昌鉉その人もすごいのですが、その波乱の半生を漫画という表現を縦横に駆使し表現する山本おさむもすごい。踏み込みの深い人であると思うのです。物語に、事実に、そして読者の内面に踏み込んでくる。私はうっとたじろぎながらも、踏み込まれるままに心を動かされている。本当にすごい漫画だったと思います。

私と山本おさむの出会いはですね、『わが指のオーケストラ』だったのですよ。この漫画を知らないのか、絶対に読んでおくべき漫画だと押し貸しするように文庫四冊渡されて、私はなんだか乗り気でなかったから長く置いたままにしていたのですが、ある日なんとはなしに読みはじめて、そのすごさに圧倒されたのです。一体これはなんなんだろう。漫画の向こうにある実感の深さ、情感の豊かさが、そこには確かに人間が息づいているのだと物語っていて、そうこれは語る言葉の強さだ。絵が、言葉が、すべてが一体となって、私の中にだくだくと流れ込んでくる。あらがいがたい強烈な体験といっていいかと思います。漫画というものはこれほどに力を持つものなのだと、思わされずにはおられない迫力です。

だから『天上の弦』を、一体どういう漫画かもわからず買いはじめたあの日、私にはいささかの不安もありませんでした。山本おさむが描いているんだから。好き好みでいえば実は山本おさむの漫画は私の趣味から離れているのですが、しかしそんなつまらない好き嫌いを越えた力のある人であることはもうわかっているから、まったく全幅の信頼を置くことのできる、まさしく希代の名作家であります。

そして『天上の弦』読み終えて、これはヴァイオリンづくりに一生を賭けた男の話なのですが、しかしただただ楽器づくりに没入するばかりでないというところに物語の深みがあったのだと思うのです。そこには人と人との繋がりがあって、ヴァイオリンこそを軸としながら、その周辺にあった人間の息吹が生々しく伝わってきて、ああ確かにこの人たちはいたんだ、この地上に生きていたのだとそうした実感をもって読み進むことができるのです。友情があり、愛情があり、喜びも楽しみもあったのだけれども、その裏に裏切りや憎しみ、悲しみ、不幸も描かれていて、人間の心の光と闇が交錯しながら、深い。そしてその流れの中心に基調低音のごとく奏されていたのが、母の息子に対する愛、息子の母に対する思慕であったのではないでしょうか。深く篤く時に激しく、呼び合い、引き合い続ける母と息子の魂の物語であったと、そして私はその情の確かさに感情を揺さぶられ、心から涙しました。一体、この物語を読んで心を動かされないものがいるものだろうかと、そう思うほどに確かな物語であったのです。

私は今年に完結した漫画、いろいろ読んできたと思いますが、その中で一番を選べといわれれば間違いなく『天上の弦』をあげます。今年一年と区切らなくとも、私はこの漫画を人生におけるベストの数作にリストするでしょう。この漫画に出会えてよかった。心からそう思い、感謝の気持ちを惜しみません。

  • 山本おさむ『天上の弦』第1巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,2003年。
  • 山本おさむ『天上の弦』第2巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,2004年。
  • 山本おさむ『天上の弦』第3巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,2004年。
  • 山本おさむ『天上の弦』第4巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,2004年。
  • 山本おさむ『天上の弦』第5巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,2005年。
  • 山本おさむ『天上の弦』第6巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,2005年。
  • 山本おさむ『天上の弦』第7巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,2005年。
  • 山本おさむ『天上の弦』第8巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,2006年。
  • 山本おさむ『天上の弦』第9巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,2006年。
  • 山本おさむ『天上の弦』第10巻 (ビッグコミックス) 東京:小学館,2006年。

0 件のコメント: