単行本で読んで、はじめてわかることもあります。っていうのも微妙に問題のような気もするんですけど、『まーぶるインスパイア』って連続したストーリーものだったんですね。それもかなりしっかりと繋がっていて、連載で読んでいた時なんかは、繋がりこそは感じていたものの、これほどだとは思っていませんでした。ほんと、自分、なに読んでたんだろう。ある程度のまとまりがぼつんぼつんとあって、それが緩く繋がっているのかなって、それくらいに思っていたんですね。ところが、第1巻を読むかぎりでは、連続した時間を描いてる模様でして、今日の話の次には明日がきて、明日の次には明後日がきて。前日の出来事を受けて、次から次へと話が連鎖的に進んでいっていたんだなあ。意外な構成のしっかりさに驚きました。そして、続けて読むとやっぱり面白いのです。もっと意味わからん漫画だと思っていたのが、思いのほか理解できて、いやはやそれは二度目だからか、あるいは、読んできた時間が理解を促進させたのでしょうか。
『まーぶるインスパイア』が登場した時のことは忘れもしませんよ。正直、こりゃなんじゃと思ったんです。電器店にておうま(ジョーバっすね)を使う女子中学生。直接的な表現を避けた、けれど決して間接的ともいえない、微妙なエロさ加減にあふれた漫画の登場に、いったいなにを目指そうというのか、不安になったものでした。『まーぶるインスパイア』がというよりも、雑誌そのものの方向性が、ですね。けれど、どんなでも読者に印象づけられるものが強いのかも知れないなと思います。あの第一回目で、間違いなく『まーぶるインスパイア』は覚えました。
意味わかるようでわからず、けれどまったくわからないというほどにはとばさない。このへんも実に微妙で、あるいは絶妙? これ、最初はこういう作風の人なんだろう、きっとこういう風にしか描けない人なんだろうとか思っていたら、『まんがタイムオリジナル』に『プクポン』登場。子育て漫画なんですが、これがまたべらぼうに面白くって、うわあ、すごいよ、普通の漫画だよ。ということは、『まーぶるインスパイア』はあえてあのスタイルを選んだというわけか。 — この人は実はすごいのかも知れない、そう思った最初だったかも知れません。それにこの頃になると、意味わからんとかいいながらも、『まーぶるインスパイア』にかなり引き寄せられていることに気付いていまして、テンションでしょうかな、まったくのまれてしまったようになってまして、ええ、白状しますが、なんだかわからないけど目が離せねえよ、状態であったのです。
そして単行本が出て、ええ、意味わからんなんてことないじゃん! すごくわかる。いやごめん、それはいいすぎかも知らん。漫画の構成はしっかりしてるし、筋もよく整理されている、ここはわかりやすい。けれど登場人物、女子中学生三人と小学生二人、あいつらはようわからん。でも、実際の中学生女子となるともっとわからんからなあ。だから『まーぶる』登場人物がわからんのも仕方がない。異様なハイテンション。あんたらの語彙は漫画とネットでできとるんか!? 実際のおたく寄り中学生もあんななんかなあ、不安になりますが、けど中学生の痛さというかまわりの見えなさっていったら、実際の話あんな感じかもなあ。そうしたところはほのかにリアルなのかも知れません。
子供ならではの痛さや無邪気さ、本人は一人前のつもり、けど実際は全然というアンバランスさ。しかも彼女らは性的存在になりつつある時期にあるわけで、だからもうなおさらですね。こうしたもろもろが周囲に働き掛けるところに面白さの核があるように感じています。いうならば内部と外部のせめぎあい。女子中学生たちの内輪の世界は、外部との境界をわきまえることなくダダ漏れ気味にはみ出して、そのはみ出しに出くわした男子、大人をひかせてしまうは、ドキドキさせてしまうは、あるいはむらむら? けど当人たちはそんなことに頓着してないというか、一応気にしていたりはするんだけど、全然行き届いてない。やっぱり子供なんだろうなあ。曖昧な、曖昧な時期なんだっていうのがひしひしと伝わってきます。
そんな彼女らをかわいいと思う? それとも痛さに過去の古傷えぐられてもだえる? どっちもありですね。多種多様な感情が入り交じって押し寄せてくるところがいいのだと思います。そして彼女らは、知ってか知らずか、普通に大人とコミュニケートする場に身を置いていて、ほらネットとかゲームとか、昔だったらそんなことなかったでしょ? でも今はそれが可能なんだねえ。妙に納得させられました。これを見て、面白い時代になったというか、おそろしい時代になったというか、どう思うかはその人次第だけど、私は面白い時代になったのだと思いたいなあ。思いたい? やけにうがったこといいますね。ええ、実はちょっと怖れているんです。大人のコミュニティと思っていたら、実はそこには彼女らのようなのが普通の振りして混じっている可能性、実感させられましたね。ドッキリというか、ゾクゾクというか、素直に怖い。意外にこれはアンファンテリブル要素のある漫画であるかも知れない。そんなこと思ってしまって、こればかりは本当に意外でした。
ほんと、意外性に満ちた漫画。だってこんなこと書くつもりなんて、事前にはまったく予想もしていませんでした。だから、やっぱりこりゃちょっとすごい漫画なんだよと、買いかぶりかも知れませんけど、そんなことを思わせてくれる、それはつまり実に刺激的ということなのであります。
- むねきち『まーぶるインスパイア』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2008年。
- 以下続刊
『


『
出た! 嬉しいっ! 『鳩町まめっこイグニッションズ』。ついに単行本と相成りまして、ようございました、本当にようございました。1月末に出る単行本に『鳩町まめっこイグニッションズ』がラインナップされていると知った時の私の喜びようといったら、それはそれは容易に言葉にならないほどでございました。あれいつごろのことでございましたでしょうか。ああ、昨年11月でございますね。それから三ヶ月弱、今日という日のくることを待ちに待って、買って、読みましたら、ここにどう書こう、なにを、なんと書こう。ずっと思ってきたのです。そしてついに今日という日がきてしまったらですよ、ああもう、なにを書いたらいいのかわかりません。とにかく嬉しい、嬉しいのでございますよ。って、ああ、なんか語尾がいつもと違ってるし! ああもう、これはもう冷静ではおられません。
『
昨日いっていました、ささやかながらもめでたいと思える出来事、それは — 、もったいぶらずに端的に書いてしまいましょう。私のひいきにしている漫画家である篠房六郎氏の新連載が、昨日始まったのです。掲載誌は『月刊アフタヌーン』。朝、コンビニ兼書店に『アフタヌーン』を探して、めでたく発見。職場について、朝一番に漫画読みはじめるというのも問題があるから昼まで我慢。読んだのは昼休みのこと、いの一番に篠房六郎の名前を探して、見付けた、『百舌谷さん逆上する』。雑誌中程の掲載、センターカラー、読んで素直に面白かったといえる出来。途中何度か笑いを誘われながら、見事にからみとられていく、そんな実感を得たのでありました。


BBC『
年末年始に見た『
いちいちいう必要なんてない、それこそ当たり前のことではあるんですけど、漫画にはその時々の風俗、時代の空気というものがよくよく反映されるものだなあと思うんです。『臍下の快楽』、第1巻が出たのは1994年、第2巻は1997年、ということは連載の開始は1991年くらいからなのかな? 平成がまだ一桁だった頃、バブル景気の後退は1991年だそうですが、けどまだ充分にバブルの残照は残っていて、テレビではドラマ化された『
Apple Storeにいってきました。昨日。心斎橋のApple Storeなんですが、友人がiPodでどれを買ったらいいかわからない、アドバイスしてお呉れというものだから、そいじゃあと乗ったのでした。Apple Storeにいくのははじめてのこと、心斎橋の駅をおりて、方向間違えて歩いてクリスタ長堀にいってしまうなんていうのはまあよくあること。地図見て歩けばいいのに、面倒くさがって地図を用意しなかったんですね。一応うち出る時に確認したりもしたんですけど、いやああんなに方向がわからなくなるとは思いませんでした。クリスタ長堀で地図確認して、歩くこと五分くらい? 危なく行き過ぎそうになるくらいに簡素な外観の店舗、無事たどり着くことができたのでした。
さて、iPod nanoもよいんですが(デザインが思ったよりもよくて、驚きました)、それ以上に興味があったのはiPod touchで、液晶がタッチパネルになっていて、指でちょこちょこ触って操作できるというあれです。まあ、今更といえば今更なんですけどね。けど、これまでまったく触れたことがないもんで、だからこれが初遭遇。今まで散々レビューやら読んできたから、ボディ前面のボタン押したらアイコンの並ぶメニュー画面に戻れることは知っています。そして、それだけ知っていたら割となんとかなる、そういう感じの道具であると思いました。
歌舞伎を見にいってきました。演目は『御所桜堀川夜討 弁慶上使』、『義経千本桜 吉野山』、そして『恋飛脚大和往来 玩辞楼十二曲の内 封印切』から「新町井筒屋の場」です。私は歌舞伎に関しては詳しくないので、それぞれがどういう風に分類されるものであるか、適切簡潔に紹介することはできないのですが、『弁慶上使』は姫の身代わりにと自分の娘を手にかけてしまう武蔵坊弁慶の男泣きにむせぶ話、『吉野山』は桜の見事に咲いた吉野山での静御前と忠信の華麗な舞、『封印切』は遊女を身請けせんがために手を付けてはならぬはずの金に手を付けてしまった男の話、最後にすべてを女に語り、頼む、一緒に死んでくれと、悲しい恋の物語であります。
年末年始にNHKでやっていた『
Appleの新製品が発表されましたね。前評判どおり軽量のノートPCが登場して、実は私これにはちょっと興味を持っていましてね、いや、持ち運んだりすることは当座なさそうだから、純粋に興味というか、あるいはちょっと妄想というか、そんなのもやもやさせていたのです。もし今度出るのがうわさどおりの軽量ノートで、それもサブノートもしくはもっと小さいものだったりしたらすごいな、それでソリッドステートドライブ搭載だったら欲しいな、なんならこいつを使えるような職場に移ってもいい! なんていうくらいに妄想たくましくして、そうしたら本当に軽量ノートではありませんか。おお、ほんとにノートだったんだ! ちょっとわくわくしてきたぞ、ほんとそんな感じであったのです。
漫画によって画風、作風などを使い分ける人ってありますが、私屋カヲルという人もそうしたタイプの漫画家であるのかも知れません。というのもですね、この人の代表作『
私がはじめて『デビルマン』に触れたのは、以前住んでいたうちの近くにあった古本屋ででした。『デビルマン』の単行本、とくになにを思ったわけでもなく手に取って、そして打ちのめされるような思いで立ちすくむことになりました。それまで、私にとって『デビルマン』とは、テレビのなかで活躍する変身ヒーローでしかありませんでした。それが、あのおそろしいラストを見せられて、私は動揺とともに本を伏せ、そのまま帰ってきてしまって、まさか原作ではあのようなラストが描かれていたとは露ほども知らず、そしてその残酷な真実に触れる場面は、私の中に焼き付くようにして残ったのです。通して読んだのは、その体験から数年後でしたか、すでに中学に上がっていたと思うのですが、あらかじめ覚悟していたというのに、それでも強烈な読後感が残って、ああ『デビルマン』はすごいや。その感想は、この一月に発行された『デビルマン』愛蔵版を読んで、それでなお同じであったのでしたから、よっぽどのものといわざるを得ないでしょう。人間の心の奥底に眠る怖れを貫き通すかのような、激烈な一撃を秘めた一冊。これを名作といわずしてなにを名作といえばいいのか、そのように思います。
NHK制作のドラマ、『
私は猫は好きなんだけど、自分で飼おうとは思いません。だって、あいつら自分勝手そうだし、多分私の自分勝手と力いっぱいぶつかると思うんですよね。たとえばギターで爪を研いだりさ、あるいは何本となく屹立している本の塔を、牛若丸よろしく点々と飛び乗りながら次々崩していったりして、そうなると心穏やかに共存できそうにない。もう毎日が大決戦ですよ。戦いの果てに友情が芽生えるならまだしも、おそらくは余裕綽綽の奴らに歯噛みする毎日。きーっ、くやしーっ。とまあ、こんな風に心の狭い私に飼われる猫も不幸でしょう。なので私は猫を飼わないのです。でも、こういう猫漫画読んでたら、やっぱり猫がいたりすると暮しは楽しくなりそうだなあと思えてきて、危ないですね。ええ、すごく危ないです。
先日ご紹介しました『
『まつのべっ!』の始まったのは、まだ私が四コマ誌の沼にはまっていなかった頃のこと。初出一覧を見れば、『まんがタイムオプショナル』とありますね。私、この雑誌は買っていなかった、どころか、見たことさえありません。ただでさえ多い『
『すいーとるーむ?』が『
昨日、『
三本目の万年筆を紹介しようかと思います。ええと、自分で購入したものでは三本目、使ってきたものとしては五本目にあたりますね。そして、五本目にしてようやくパーカー以外の万年筆にチャレンジするという、どれほど私は保守的であるというんでしょうね。これと決まったら、それ以外に目を向けないという、よくいえば一途、悪くいえば意固地、視野が狭い。しかし、人としてそういう態度はよくありません。いろいろを知り、経験してはじめて見えてくるものもあるはずなのですから。というわけで、ドイツの名門筆記具メーカーであるペリカンにチャレンジしてみました。といっても、決して高級なペンではありません。
そんなわけで、私も買ってみました。色は赤を選択。ああ、軸の色ですよ。インクはペリカン純正のロイヤルブルーです。なぜ赤軸にしたかというと、過去にドラマの影響で売れまくったという黄色は黄系の肌色を持つ私には合わないし、青はちょっとクールすぎるし、じゃあ緑か赤。交互に手に取って、ぱっと目に鮮やかな赤がよさそうだなと、そういう決め方でした。
万年筆を買いました。って、

割と評判がいいようだったので『
ようやくといったらいいものか、『
